移民は「死に至る道」
そもそも「そうまでして一億人を保たなければならないのか」というところから検討するべきだ。昨年『機械との競争』(日経BP社)が翻訳出版され話題になったが、諸外国では移民だけでなく、「このままでは機械に仕事を奪われる」との危機感が高まっている。
朝日新聞は「人手不足列島」というシリーズで〈ロボットがお手伝い すし握り・食品運搬など活躍〉との記事を報じた(六月十三日)。各国では軍事の現場においてすらロボット兵の導入が予見されている昨今である。介護その他の業種で機械化が進めば、労働者が減っても〝労働力〟は補える。財界としては「ロボットは働くが消費者にはならない」ということだろうが。
移民政策に反対すると「ではどうしろというのか」「対案を出せ」との声が高まる。そこで、イギリスの軍事史研究家、リデル・ハートの、こんな言葉を紹介したい。
〈ものごとがいずれにも決しない状態に耐えることはとてもつらいことである。そのつらさに耐えかねて「死に至る道」(後先考えずに飛び込んでしまう衝動的な行動)に逃げ道を求めようとするものは昔から国家にも個人にもあった。
しかし、このつらい「宙ぶらりん」の状態に耐えることこそ、可能性の明確ではない勝利の幻想を追い求め、国家を灰燼に帰せしめるよりは、はるかに優れた選択なのだと銘記すべきである〉(中西輝政『本質を見抜く「考え方」』より)
少子化対策の総括もままならないうちにただただ失態を取り戻すために、各国で矛盾が噴出している移民という〝劇薬〟にあえて手を出すことは、かえって国家としての寿命を縮めることになりかねない。
今は苦しい時だが、高齢者偏重の福祉政策を少子化対策に転換し、若者の正社員化、「大黒柱」(=夫一人の給料で家計をまかない、女性が出産、育児、家事に専念)を作るための日本型雇用の復活など、見直すべきところはいくらでもあるはずだ。
年間二十万人もの外国人を五十年も入れ続ければ、確かに一億人を保つことはできるかもしれない。確かにこの日本列島に生きる人間の「頭数」を保てる可能性はある。だが、移民二代目、三代目の頃には、当然のことながら「日本人が少数派」になる自治体も出てくるだろう。
その時、ドイツやスウェーデンのように、まさに「日本の景色も一変」しているに違いない。
※この記事は一般公募によりご寄稿いただきました。
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