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報道ではなく政治ゴロ
以前、朝日新聞幹部にこういったことがある。
「新聞は結局、編集長やデスク次第。第一線の記者たちは自分の記事を掲載してもらいたいがために、上の顔色を見ながら上の意見に沿うものを作ろうと、結論ありきの取材をしている。これでは記者の力も部数も伸びないから、時々『一日編集長』を内外から登用して新鮮な紙面を展開するべきだ。 若い記者が取材力を磨き、新しい産業、新しい事業を見つけてくれば、それは未来の広告主にもなり得るのだからやってみなさい」
幹部は賛成したが、内部の抵抗が強く、実行できなかったそうだ。
また、ある地方紙の幹部に
「なぜ地方をよくするための開発や改善の記事を自ら発せず、衰退を黙って甘受しているのか」
と言ったが、相手は黙りこくっている。
こちらも黙っているとしばらくして、
「……しかし、わが新聞は県知事を落選させる力がある」
と、冗談でなく本気で言った。これでは政治ゴロそのものだが、全国紙が首相叩きに熱心なのも同じ理由かもしれない。総選挙となれば報道は中立を守るので仕事が楽になり、しかも新聞は売れる。
本来は報道力の回復で社を立て直さなければならないのだが、そのことに気づかず、新商品の開発で何とかなると考えるのも危うい傾向だ。
朝日新聞は以前から「朝日カルチャーセンター」や「朝日文化財団」などを手掛けてきたが、結局はOBなどのための仕事を作ってやる場所で、商売として成立させようという気が全くない。
最近、力を入れているのは「朝日新聞デジタル」というインターネットでの展開だ。中身が良くならないのに形態だけ変えても、部数や業績が伸びるはずがない。
「朝日自分史」という「朝日新聞があなたの人生を一冊の本にまとめます」という自費出版事業もそうだ。 記者が実際に取材してまとめ、出版する代金は百万円だというが、実際は録音したテープを安く外注に出し、ある程度でき上がったものを記者が〝直してやる〟というものだろう。現に、記者が顧客を訪ねるのではなく、「首都圏在住の方もしくは東京本社に来社可能な方のみ」の申し込みに限定するそうだ。これでは事業が伸びる見込みはない。やる以上は、「当社一流の記者が引き受けるのですから売れるものにします」と言わなければプロではない。単なる取次屋で、「朝日の記者が手掛けてやるんだからいいだろう」というのでは新商品も伸びる見込みがない。
すっかり上から目線
朝日新聞はかつて「ジャーナリスト宣言」を発表し、「言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ。それでも私たちは信じている、言葉のチカラを。ジャーナリスト宣言。朝日新聞」と大きく掲載した。「ジャーナル」(journal)の語源は「ヤヌス」(Janus)というローマの神様で、顔が二つあり、一年の始まりに立っていて、過去と未来の両方を見ている。しかし、朝日には過去と未来を見通す力は全くないのではないか。
朝日新聞はすっかり上から目線になり、謙虚さを忘れ、在野精神を忘れた。新聞の起こりは明治時代、失職した旗本たちが薩長政府批判をやり始めたのが最初だったが、いまの朝日からはそのような気概は感じられない。 朝日はいつも上から目線で、自分の不勉強が原因の劣等感を隠すために、メディアの優越感を丸出しにして「読者に教えてやろう」「誘導してやろう」とするが、これは報道ではない。
朝日が本当に報道や解説で尊敬されるという本来の道に進みたいのであれば、なるべく大きなものを根本から批判し、さらに新しいイベントを興して価値を発信することだろう。たとえば、朝日は「権力批判がメディアの使命」などと言って政権批判はするが、情報がもらえなくなることを恐れて外務省批判、財務省批判はほとんどしない。国連やサミットやオリンピックのような巨大な欺瞞に対しても全く批判しない。国連については言うまでもないが、サミットは「ややこしい国内問題から逃避したい各国首脳の集団サボタージュ」だし、オリンピックはもともとギリシャ神話の全知全能の神・ゼウスに誓う競技会だから、日本に「オリンピック精神」はまるで関係がない。
教育のエンタメ化はすでに始まっているのに、「旧来のお得意さん」である日教組に遠慮して、朝日はこれらの変化を取り上げることができない。子供に責任を転嫁して学力低下と書くが、新時代の新学力を論じる力がない。
政治のイベント化もそうだ。記者は政党に依存し、大物政治家にぶら下がって仕事をしているから、この変化に気づかない。与党はこうあるべき、野党はこうせよという解説すら書けず、ただ「誰が誰と会った」「人事はどうだ」と日々の目先のニュースを追いかけるだけで、大局的な変化や目指す道筋を報じることができない。
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