何故移民政策は止められないのか?~民主主義が心肺停止する日~
- 2014/9/24
- 政治, 社会
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あなたは生活地続きのものとして政治を捉えられるか
以前、経済評論家の渡邉哲也さんは、「ネットユーザーは烏合の衆」と発言していましたが、これは何もネットユーザーはバカだとかレベルか低いとかそういう話をしているのではなく、具体的には、ネットユーザーは烏合の衆であって団結出来ないという意味なのですね。確かに、尖閣デモやフジデモなどで証明されたように、確かにインターネットが一定の動員力を有しているのは確かです。しかし、彼らの繋がりは、よく言えば思想や志向でありますが、悪く言ってしまえば、一時的な気分の高まりに過ぎず、既成の利益団体(いわゆる既得権などと称される団体ですが)のようにある種の生活共同体や運命共同体といった側面は有しておらず、どうしても継続的で粘り強い一貫性を持った政治運動には成りえないのですね。
京都大学教授で内閣参与の藤井聡さんは、社会における中間団体や共同体が崩壊すると、バラバラになった砂粒のような個人が吸い付けられる単純化された権威を求め、個人が思考停止を行い全体主義が発生すると述べていますが、仮にメディアの分散化、ネットなどの新しいメディアの台頭等がそのような思想、思考の画一化、均質化を防止でき、個々人が一定レベルまで自分自身の考えや意思を保つことが可能であったとしても、やはりこの中間団体の消滅は、同時に一般国民の意見を政治に反映させるためのチャネルの消滅を意味しますので、一般国民の意見がほとんど政治に反映されないという意味においては民主主義の心肺停止と言えると思います。このような自体にあっては、特定少数のメディアや組織(例えばマスコミや経団連)の意向が極端に政治に反映しやすくなり、例え国民の99%が反対するような案件であっても、1%の少数派の意見が政治を実質的に支配するというような状況が生まれかねません。
実際に、現在の安倍政権においては、様々な諮問機関が作られ、そこでは民間議員と称する選挙による国民の支持を得てもいない財界の有力者が、非常に強い影響力を持って政府の政策方針にの策定に関与しています。
最後に一つ付け加えると、これまでの議論からいって、(今はそういった考えを持つ人は少数派となっているでしょうが)過去に流行した「ネットが政治や社会を劇的に変化させる」というような考えなども、疑問符を付けずにはいられません。もちろん、正しい知識や優れた思想の普及は、当然政治や社会を改善させていくための必要条件であり、それなしに社会の改善は不可能であると言っても過言ではないほどに重要一要素であるとは思いますし、インターネットはそのための非常に有力なツールの一つであるでしょうが、やはりあくまでそれは必要条件であり、実際に社会を変えていくためには、ここで述べてきたような構造的な問題についても考慮に入れることが不可欠であるでしょう。
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コメント
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「おそらく、日本の移民政策を阻止することは出来ないだろう」というのは、恐ろしい話ですね。『次世代の党』や『太陽の党』は移民政策に反対しているようですが、今後大きな力を持ちうるでしょうか?移民に反対する利益団体が存在しないとのことですが、それは日本国民でなければなりません。日本が日本であり続けるためには、日本の国体や歴史を尊重しない外国人を日本国民として受け入れることはできません。日本とは如何なる国であるかを、日本人自身が知るようにならなければ、本当の意味で反移民政策が盛り上がることはないのでしょうね。