ポジティブシンキングに偏りすぎることの問題
- 2014/3/26
- 社会
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誰しもが抱く、ポジティブ信仰に対する違和感
信仰者のほうが懐疑論者よりも幸福であるという事実は、酔っぱらいのほうが素面の人間よりも幸せだという以上の意味はない
ジョージ・バーナード・ショー ノーベル文学賞受賞劇作家
この言葉は、劇作家、劇評家、音楽評論家で社会主義者でもあるジョージ・バーナード・ショーの言葉です。私は、この言葉を聞いたとき、いつの時からか大流行しているポジティブシンキングブームあるいは、ポジティブシンキング信仰とでも呼ぶべき、流行、雰囲気を揶揄する、こんな言葉が思い浮かびました。
「ポジティブシンキングの人のほうが懐疑論者よりも幸福であるという事実は、酔っぱらいのほうが素面の人間よりも幸せだという以上の意味はない」
と・・・。
私はなにも、ポジティブシンキングが常に悪いとか、ポジティブシンキングを心がける人間はどいつもノー天気な馬鹿ばかりだ。などと言うつもりはありません。実践的な意味において、例えば、前向きに考えることで積極的な行動を取ることが出来るようにする。あるいは、前向きな姿勢を周囲にアピールすることで、明るく元気な人間であるということを印象づけることで人間関係を良好にするといった目的を持ってポジティブシンキングを心がけるということに関してはまったく否定するつもりはありません、むしろ、そのような心構えが実際に有効に機能するのであれば積極的にポジティブシンキングを用いるべきでしょう。しかし、私が批判するポジティブシンキングは、無条件にそれを良いものであるとして、無批判に取り入れる姿勢について、あるいは、さらにそれが過剰になって、いつでもポジティブシンキングでいなければならないというような強迫観念にまでなってしまいがちであるという問題についてなのです。
ちなみに、このポジティブシンキング信仰の現実的な問題点については、『ポジティブ病の国、アメリカ』という本に詳しく書いてあります。この本は、アメリカの問題について書かれている本なのですが、この本に書いてある問題点はほとんどの点において日本社会にも当てはまります、日本はほとんど常にアメリカの後追いをしています。優れた学問や工業製品はおろか、社会的な問題や、心理学的な病理に至るまで、ありとあらゆる問題をアメリカから直輸入してくるため、おおよそアメリカで現在どのような社会的問題が発生しているかを見れば、数年後あるいは十数年後に日本にどのような問題が発生するかが、おおよそ予測できるといっても過言ではないのではないかと思います。もっとも、オウム真理教の地下鉄サリン事件からみる宗教テロの問題や、巨大バブル発生から崩壊、そしてデフレ不況への一連の経済問題といって問題はアメリカに先駆けて発生していますが・・・。
こういったアメリカで書かれた社会問題に関する本を読むのは面白いもので、こういった本の著者はアメリカ社会の問題点について考察しているにも関わらず、日本人が読んだ場合、まるでその本の内容が日本社会の問題点について書いているのではないかと思うような錯覚にとらわれることになります。まあ、そのような日米に共通する問題は、日本とアメリカだけではなく、先進国共通の問題であるのかもしれませんが。
少し話が脱線してしまいました、この『ポジティブ病の国、アメリカ』では、アメリカで蔓延するポジティブシンキング信仰のような現象が実際にどのような悪影響をアメリカ社会に及ぼしているのかについていくつかの例を出して説明しています。
死を死として受け入れないことの違和感
筆者のバーバラ・エーレンライクは、ある日、乳がんにかかり、その後、乳がんの治療患者のコミュニティー活動に参加するのですが、そこの不安や絶望感を持つことが「ネガティブ」だと責められ、がんを克服できなかった患者が「敗者」と決めつけられるという脅迫的な価値観が支配する少々異常なコミュニティーでの活動の中を通してアメリカで流行している「ポジティブシンキング」に疑問を持つことになります。著者は「ピンクのバラのイラストの添えられた、『今日、あなたのために祈りました』という詩」や、置かれていた雑誌にあった、「ピンクの乳がんティディベアの広告」を見た時の違和感、パニックについてこのように感想を述べています。
私も、初めて経験する強烈きわまりない切なる望みのために祈った。サメに噛まれて、雷に打たれて、スナイパーに打たれて、あるいは車にひかれて、すっぱりと、尊厳をもって死にたい、と。通り魔に切り刻まれて死ぬほうがまだましだ、と私は心のなかで懇願した-どんな死に方でもいいが、あのティディベアに象徴される甘ったるい、べたべたした感傷や、更衣室の壁から発散されるものにじわじわと窒息させられるのはごめんだった。死ぬのは仕方がないと思ったが、ティディベアを抱きしめたりやさしい微笑みを浮かべたりして死にゆくべきだという考え方は、たとえどれほど人生を達観していても、受けいれる気になれないものだった。(前掲書)
私は、かつて国家のために命を捧げた特攻隊の死や、「(我々の魂)を骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。」と叫んで、自衛隊の駐屯地で切腹自殺した三島由紀夫の死などについて強い関心を持っているのですが、彼らの苦悩と極限的な緊張感の中における死と、比較した場合、甘ったるいべたべたした感傷の象徴であるティディベアを抱きしめたりやさしい微笑みを浮かべたりしながら迎える死というのは、あまりにも酷いものであると感じます。
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2コメント
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保守的に物事を考えるのであればネガティブシンキングが有効でしょうね。
逆に設計主義的に物事を考えるのであればポジティブシンキングが有効でしょうね。
そう考えればネガティブシンキングが重要である事がわかります。
ただ物事にもバランスが必要でありどちらかに偏りすぎるのも問題である。
ポジティブシンキングって貸金業や高額商品メーカーにとっては神風ですから、
後の金策や支払い計画考えずに買っちゃいなよ(ローンくんじゃえ)という根拠や後ろ盾のないおススメみたいな状況に持ち込めるのです。