『僕たちは戦後史を知らない―日本の「敗戦」は4回繰り返された』(佐藤健志 著)から考える戦後精神史
- 2014/3/7
- 文化
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作家で、評論家の佐藤健志さんが、『僕たちは戦後史を知らない 日本の「敗戦」は4回繰り返された』という面白い本を書いていましたので、この内容をヒントに今回は、戦後の日本人がどのように戦争、あるいは戦後というものを捉えてきたのか、そして、その結果なにが起こったのかという問題について考えてみたいと思います。
いつまでも繰り返される「第二の敗戦」
佐藤健志さんは、日本人の心理として、戦後大きな破局を迎えた時に、必ず日本人は敗戦時に心理的に回帰し、何度も敗戦を繰り返すということを説明しています。それを表す象徴的な言葉が日本社会に大きな破局を迎えた際に使われる「第2の敗戦」という言葉です。この「第二の敗戦」という言葉、実は、最初に使われたのはオイルショックが起こった1975年、これが日本人にとっての最初の「第二の敗戦」だったわけです。その後、震災とオウム事件が発生した1995年が2度目の「第二の敗戦」で、そして、2011年の東日本大震災が3度目の「第二の敗戦」と呼ばれました。
この「第二の敗戦」という言葉は、まさに象徴的で、この戦後の敗戦は、決して第二の敗戦から、第三の敗戦、第四の敗戦というように回数が積み上がっていかないというところに特徴があり、日本人は戦後大きな破局を迎えた時に、必ず敗戦時にまで精神的に回帰するという心理的特性を持っているというのです(これは、なにか日本が改革を行う際に、常に維新という言葉を持ち出し、変革期において、必ず幕末の維新期に精神的に回帰するということと非常に共通点があるように思えるので、佐藤さんには是非その辺についても分析して欲しいです)。
そして、問題は、なぜ日本人が戦後何らかの破局を迎えた時に、心理的に必ず敗戦時に回帰するのか?ということなのですが、ひとつの要因として佐藤さんは日本の戦争の負け方が悪かったということを指摘しています。
戦争の終盤において、「あとに続くを信ずる」と述べて敵の艦隊に特攻していった仲間たちの姿を見ながら、残された者達は、「彼らだけを死なせるわけにはいかない・・・」という悲壮な決意を抱きながら、1億総玉砕となる本土決戦の覚悟を決めていたわけです。しかし、戦争は2度の原爆投下という悲劇の後、本土決戦を経ずして終結してしまいます。
さてここで、たしかに生き残った人々は、破滅的な結果となったであろう本土決戦を回避したのですが、「ああ、良かった自分たちは破滅的な結果になったであろう本土決戦を回避出来てラッキーだった」などと直ぐ様考えられるほどに人間は単純でも下劣でもないわけです。「あとに続くを信ずる」と述べて特攻した仲間たちの姿を見て、「彼らだけを死なせはしない」と自分も死ぬことを決意した彼らは、たとえその後本土決戦を回避し、自分たちが生き残ったのだと理解しても、もうすでにその時には肉体も感情も精神も死を覚悟していたわけです。精神的、感情的に死を覚悟した者達は、そう簡単に、「そうですか、私たちは幸運でしたね」と納得して、普通にその後の日常生活を営んでいくわけにはいかないのです。
実際に、作家の三島由紀夫は、戦後、自分が兵役逃れをしたことを死ぬまで悔いながら生きていきましたし、思想史家の河原宏先生は、自らの特攻を前にして戦争が集結してしまったことに関して、「死に場所を失った」と表現しています。
もちろん、戦術的、あるいは政治的観点からすると、実際に本土決戦を行うことは、日本を確実に破滅へと向かわせるような大惨劇となったことは確実でしょうし、また戦後ソ連と、アメリカで分割統治される可能性が非常に高かったのですから、必ずしも、本土決戦を回避したことが間違っていたとは言えません。いや、むしろ戦術的に考えるならば、それは明らかに正しい判断であったと言えるでしょう。
しかしまた、このように、ただただ、「本土決戦を回避できて良かった。自分たちは破滅せずに生き残れて運が良かった」という観点からのみ、あの戦争を捉えることは、大きな精神的、あるいは道義的な問題を抱えることとなります。
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