サントリーホールで平和運動をしないでください

 話題が少し古くて恐縮ですが、皆さんは、以下のような問題についてどう考えますか。

 数日前、深夜たまたまつけたNHK・Eテレで、8月11日に行われたサントリーホールのコンサートの模様を放映していました。演奏者はいまや巨匠とも呼ぶべき世界的ピアニスト、マルタ・アルゲリッチと広島交響楽団。曲は、ベートーヴェンのピアノ協奏曲1番 もう第三楽章も終盤に近い部分でした。
 個人的にはアルゲリッチの演奏をあまりいいとは思っていないのですが、でもあの三楽章の軽快で楽しい調子に思わず引き込まれ、貫録を増した彼女の演奏をほんの少し楽しむことができました。曲が終わって会場はやんやの喝采です。
 画面が変わり、会場からではなく、局からの説明が入りました。アルゲリッチの次の曲や彼女の演奏実績についての説明ではありません。彼女のお嬢さん、アニー・デュトワについての詳しい紹介でした。彼女は、平和活動(NPOでしょうか)をやっているそうです。その彼女がアウシュヴィッツについての詩を会場で朗読するというのです。
 再び画面が変わり、若い男性に続いて可憐な雰囲気のデュトワ氏がステージに出てきました。若い男性は作家の平野啓一郎氏です。デュトワ氏が詩を朗読し始めました。聴衆は水を打ったように聞いています。とっさに私はいいようもない不快感を抱き、スイッチを切ってしまいました。もちろん意味を聞きとる以前のことです。
 これはひねくれ者の個人的な性分にすぎないかもしれませんが、私は、文化と中途半端な政治的メッセージとを混合したこの種の「あいまいな」イベントが大嫌いです。
 たとえばチャリティーコンサートとして売り上げを被災者や難民など、困っている人に寄付するというなら一向にかまいません。しかしこの催しはそれとは違います。一流のホールに世界的ピアニストを招いて一流の演奏を聴かせるという触れ込みで観客を集め、集まったその現場を巧みに利用して「平和活動家」のメッセージを発信する――この企画の中にはずいぶん不純でいいかげんで安っぽい思想がありはしないでしょうか。
 アルゲリッチといえば、S席だったらまず一万五千円は下らないでしょう(後に案内チラシを調べてみたら、じっさい一万五千円でした)。それだけの入場料を払って会場に来たお客さんは、95%までは彼女の演奏が聞きたくて集まってきたので、「平和活動」のメッセージなどほんの刺身のつま以下のものとしてしか感じないはずです。

 しかしそのことについて語る前に、当日のコンサートがどんなふうに行なわれたのか、簡単に記しておきましょう。
 これについてはいろいろと教えてくれる人がいました。この場を借りて感謝します。また以下の資料で、当日の模様を詳しく知ることができます。
http://open.mixi.jp/user/3341406/diary/1945626417
 このコンサートは、「平和の夕べ」と題されていて、演奏会の時期(広島原爆投下の5日後)、広島交響楽団との組み合わせという点などと考え合わせると、お客さんの方もそのあたりはもともと織り込み済みであったことになります。
 曲目は3曲。まず①ベートーヴェン作曲「エグモント」序曲、続いてアルゲリッチ氏が登場し、②ベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第1番」、休憩をはさんで③ヒンデミット作曲「交響曲 世界の調和」。
 さてアルゲリッチ氏登場の前に、平野氏とデュトワ氏が出てきて、④平野氏が原民喜「鎮魂歌」を朗読し、一節ごとにその英訳詩をデュトワ氏が朗読。休憩後、「世界の調和」の前に、また二人が登場し、今度は⑤チャールズ・レズニコフ「ホロコースト」をデュトワ氏が朗読、平野氏が自身による日本語訳を朗読。
 ということだそうです。私が聞いたNHKの放送は、②のほんの一部と、⑤のほんの一部ということになります。
 デュトワ氏だけでなく、アルゲリッチ氏本人がその種の平和活動に加わっていることは以前から薄々知っていましたが、当日のパンフレットには、音楽が世界平和に貢献するという趣旨のアルゲリッチ氏自身のメッセージが寄せられていました。また広島交響楽団は、毎年1回、広島フェニックスホールで「平和の夕べ」コンサートを催しているそうですが、このたびサントリーホールという檜舞台でアルゲリッチ氏との共演がかなったことで、飛び上がるほど喜んだそうです。当楽団の設立趣旨やふだんの演奏活動に、特にあの「ヒロシマ」との直接の関連はないようですが、この喜びの中には、「ヒロシマ」にからむ自分たちの気持ちを世界に通じさせるための糸口をつかんだという、「政治的」な感情がまったく混じっていなかったとは言えないでしょう。
 私は後でこれらのことを知ったので、全貌をよりよくつかむためには、短気を起こさずに、最後まで聞けばよかったと後悔しました。こうして全貌を見渡してみると、このコンサートが、いかに空想的・感傷的な平和主義イデオロギーによって枠づけられたものかということが、いよいよはっきりと想像されます。
 ちなみに歌劇『エグモント』は、圧政に対して力強く叛旗を翻して死刑に処せられた男の英雄的な自己犠牲の精神を称えた作品です。ヒンデミットの『世界の調和』は、中身は関係ありませんが、タイトルがいかにも、といった感じですね。

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西部邁

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