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人はすべて、共同して生きている。
アドラー先生は、人間は「共同体」として生きていると言いました。
そしてその共同体であるという意識を「共同体感覚」とし、それを明確に持つことが何より大切だと言ったのです。
分かりやすくいえば
「人はみんなで生きているということをハッキリ認識しようね」
ということです。
そもそものところ、人間は劣等感があって当然です。
誰でも、欠点をいっぱい持ち、完璧な人間なんていません。
だからこそ、その欠点を補い合うために、「みんなで」生きることにしました。
ある人は狩りをする。
ある人は、その狩りの道具を作る。
ある人は、その獲物を調理する…。
そんな風に、それぞれの得意分野をいかして、補い合うことで、すべての人が生きやすくなりました。
人間は、カンペキでないからこそ、劣等感があるからこそ、「集団」を作ることができて、そしてだからこそ、よりよい人生を生きることができたのです。
それこそ一人一人がカンペキであれば、すべてをその人、一人でやってしまおうとするかもしれません。
でもそうなると、たとえば病気やケガをしたときに、何もできなくなってしまい、その個人が死んでしまう可能性だってあります。
みんなで協力したからこそ、すべてがよりうまく行ったわけですね。
集団だからこその問題。
ただ、それが常に幸せなわけではありません。
アドラー先生は、集団で生きることには、もちろん問題が生じると言いました。
「すべての人間の悩みは、対人関係にもとづいている」
と言ったのです。
それこそたった一人で生きていたら、そこまで悩むことはありません。
(ただその分、デメリットの方が大きいのですが)
人間同士、色々なトラブルを抱え、それによって人はどんどん悩んでしまうのです。
たとえばですが、
「私は顔が悪い」
ということで悩んだ人がいたとします。
これ、もちろんスタートは「比較」です。
世界中に、人間がたった一人であれば、顔が良いか悪いかなんて分かりません。
他の人と比較して、「自分は相対的に顔が悪いのでは?」と悩んだりするわけです。
ただ、顔が悪いことだけが、悩みの根本ではありません。
「顔が悪くて、その結果、みんなにバカにされるのでは?」
「顔が悪いと、モテないのでは?」
そんな不安があるわけです。
そうなると、結局はそれも「対人関係」となります。
たとえば
「顔が悪いけどモテモテな人生」と
「顔はいいけど、誰からもモテない人生」だったら、
誰もが間違いなく、前者を選ぶはずですね。
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