前回の記事(言論人の存在価値と三島由紀夫の遺言)で、先崎彰容さんと藤井聡さんとの対談と、三島由紀夫の文章を関連させてアレコレ考察したのですが、今回も同様に、二人の対談と三島由紀夫の文章を比較して考察してみたいと思います。
賛否両論あるようですが、僕はやはり三島由紀夫という人は面白い人物だと思います。かつて、三島由紀夫の書いた本は何冊か読んだ事があり、その時は難しかったり、時事的な話がわからないために理解できない部分も多かったのですが、最近になって、三島由紀夫についての解説を読んだり聞いたりした時に、「あー、なるほど三島由紀夫はあの文章の中にこんなメッセージを込めていたのか」と感心させられる事が多いです。現代の知識人の中には、ちょっと気の利いた一見面白そうな見方や概念を披露して、初めは「お、この人は、なかなか面白そうじゃん」と思わせながらも、その後どんどんボロが出てきて、「なんだ、この人は所詮この程度なのか・・・」とがっかりさせられるような人物が多いのですが、この三島由紀夫という人物に関しては、「知れば知るほどに味の出てくる男だなぁ・・・」と、現代においてはなかなか珍しいタイプの知識人だなと最近しみじみ思います。
後進国の住民たちをだまし歩き、会社の収益を上げる男が行動的?
ところで、三島由紀夫は『行動学入門』という本の中で面白い問題提起をしています。
会社の社長室で一日に百二十本も電話をかけながら、ほかの商社と競争してゐる男がどうして行動的であらうか? 後進国へ行つて後進国の住民たちをだまし歩き、会社の収益を上げてほめられる男がどうして行動的であらうか?
この文章を三島由紀夫は1970年に書いてるのですが。今現在「TPPでアジア太平洋諸国の制度変更を行ってアジア諸国へ積極的にインフラ輸出を行おう!!」などと発言している人たちが、頭が良いだのスマートだのと言われ、もてはやされている様子を見ると、40年も前に、このように言っている三島由紀夫はやはり卓見であると感心します。
最近、経済評論家の渡邉哲也さんが頻繁にグローバルなシステムの基準作りの話をしていますが、あれも決して手放しで礼賛されるべき提言かは非常に疑問です。もちろん、途上国がアメリカ本位の劣悪な基準を押し付けられるよりは、日本の基準をグローバルな、あるいは環太平洋圏内のスタンダードにした方がマシだという程度の意味合いであるならば全く同意しますが。そこからさらに「日本のインフラを輸出して経済成長だー!!」「成長戦略の一環だー!!」などとなると、その行動は、その瞬間、またたくまに三島由紀夫が批判した、「後進国へ行つて後進国の住民たちをだまし歩き収益を上げようとするタイプ」の人間となんら変わらない性質を持ち出すでしょう。
そもそもの問題として、自由貿易の枠組みや、グローバルスタンダードといったフレーズを強調するような種類の人々たちの頭から抜け落ちているのは、やはり「余計なお世話」という考え方ではないでしょうか。
もちろん、中国や、ほかの途上国等は、環境問題や食品の安全性の問題とか相当に劣悪であり、そのような国々に対して、日本が一定のアドバイスや指導や技術支援をすることは可能であり、同時にそれは義務でもあるのでしょうが、現実に途上国が社会や雇用の安定のために必要な経済成長を続けながら、日本並に環境問題に配慮するなんてことは不可能でしょう。そのような事実を考慮するのなら、この上なく平凡な結論ではありますが、日本としてはそのような問題の対策で、途上国へ出来る限りの協力と支援をしつつも、最終的にはその国の判断と自主性に任せるしかないのではないでしょうか。
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