もう一つの見えない戦争ーインテリジェンスで盛衰した日本ー

インテリジェンスは無関係ではない

 インテリジェンスとは情報との対話です。

 1つの情報から得られる内容には限りがあります。そして、困ったことに世にあふれる情報は全てが正確とは限りません。それは多くの場合、情報は誰かの意思が介在しているからです。

 真っ赤な嘘、全て事実だが本来の事情と異なる印象を与えるため意図して触れていない箇所がある、一部が虚偽情報などなど、これらの不正確さの原因は誰かが“意図して”そう見せようとするものから、誤解などの“意図をしない”ものまで様々です。
 このような海の物とも山の物ともつかない無数にちらばる情報のかけらを集めて考察をしてくことはさながらドラマの中の探偵が情報収集をしていき、クライマックスシーンの犯人との対話で真実をあぶり出すのに似ています。
 これらから一見して気づかない意図や事実を見抜いていくことや、その逆に自分の意図を隠してある目的を達成するために情報を利用することにインテリジェンスが必要不可欠だと言えます。

 このように書くとインテリジェンスはなにか特別な訓練を受けた外交官や軍人のような専門家にだけに必要なもので、普通に暮らしている庶民には無関係な話のように思えます。
 ですが、第一章でも触れたようにインテリジェンスとは特殊な技能ではなく誰もが意識することで身につけることが出来るものなのです。その中で特に重要なものがオシント(公開情報)ということにも触れました。

 そして、国家のインテリジェンス能力の優劣は国民の生活や人生に関わる実際的な問題だと言えます。何故ならインテリジェンスこそが国家の命運を左右すると言っても過言ではなく、その影響を受けるのは国民自身だからです。
 歴史上、そのことが最も骨身に染みているのは実は日本人です。ところが当の日本人はすっかりインテリジェンスが何かということを忘れてしまったのです。それどころか日本がインテリジェンスを駆使したことで1度は大国になりながらも、インテリジェンスの欠如と謀略によって塗炭の苦しみを味わうはめになったことすら忘れてしまっている状況です。それは何故なのでしょうか。

→ 次ページ「日露戦争前夜、滅亡寸前だった日本」を読む

1

2 3

西部邁

関連記事

コメント

    • うれなり
    • 2015年 3月 27日

    某塾の大好きな「受験秀才」なるレッテル貼りですが、
    この逆差別をやり始めたら終わりですね。
    少例の一側面のみを切り取った強引な一般化であり、
    自己慰撫のための願望にすぎないからです。
    個人的ルサンチマンによって根本原因を読み違えていては
    「インテリジェンス」としても問題でしょう。

    某念氏の迷言「受験はテクニックだけ!」も典型ですね。
    そんなに簡単なら
    さっさとそのテクニックとやらを身に付けて受かってみてくださいよと。
    できないなら安易に一般化しないこと。

    「今の大学はレベルが下がっていて情けない!」
    わかりましたから己が
    少なくとも「低いレベル未満」でないことを証明してからモノを言いましょう。

    モノを言うには資格が要ります。
    無職の人が「お前ら働かないとダメだぞ!」とは言えないのと同じ話です。

      • 南 慧介
      • 2015年 3月 31日

      うれなり様

      コメントありがとうございます。

      > 某塾の大好きな「受験秀才」なるレッテル貼りですが、

      まず、こちらはどの塾を指してのことなのでしょうか。
      そして、これは私の拙文と何か関係のあることなのでしょうか。

      > 個人的ルサンチマンによって根本原因を読み違えていては

      貴君が拙文をどう受け取られたかは分かりかねますが、ルサンチマンだとどこで判断されましたでしょうか。
      私は自分の経歴に後ろめたさを感じるものがないので正直、困惑しています。

      > 某念氏の迷言「受験はテクニックだけ!」も典型ですね。

      これは拙文と何か関係があるのでしょうか。
      私のあずかり知らぬ事をここで批判されても知りません。

      > 少なくとも「低いレベル未満」でないことを証明してからモノを言いましょう。

      それは、私の文章をお読みの上で読者の方がそれぞれ判断するべきものではないのでしょうか。
      もしも、学歴や肩書だけで判断をするなら、それは思考停止だと思いますが如何でしょうか。

      > モノを言うには資格が要ります。

      貴君の理屈に従うなら、最近「クリミアのロシア編入はウクライナ人もクリミア・タタール人も喜んでいる。友愛な世の中をかなりつくっている」だと述べた東京大学出身の元総理大臣の鳩山由紀夫という人がいましたが、
      この人を批判するには最低でも東京大学出身の総理大臣経験者でなければならないということなのでしょうか。
      私はそんなことは無いと思います。何を言っているかの方が重要だと思いますが、如何でしょうか。

      肩書やましてや拙文と関係のない人の発言を持ってきて根本原因を読み違えては「インテリジェンス」としても問題ではないでしょうか。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

  1. 2016-3-14

    やくざ国家・中共に日本はどう対峙すべきか(その1)

     アメリカの覇権後退とともに、国際社会はいま多極化し、互いが互いを牽制し、あるいはにらみ合うやくざの…

おすすめ記事

  1. 第一章 桜の章  桜の花びらが、静かに舞っている。  桜の美しさは、彼女に、とて…
  2. 酒鬼薔薇世代
    過日、浅草浅間神社会議室に於いてASREAD執筆者の30代前半の方を集め、座談会の席を設けました。今…
  3.  現実にあるものを無いと言ったり、黒を白と言い張る人は世間から疎まれる存在です。しかし、その人に権力…
  4. ※この記事は月刊WiLL 2015年6月号に掲載されています。他の記事も読むにはコチラ 女性が…
  5. ※この記事は月刊WiLL 2016年1月号に掲載されています。他の記事も読むにはコチラ 「鬼女…
WordPressテーマ「CORE (tcd027)」

WordPressテーマ「INNOVATE HACK (tcd025)」

LogoMarche

ButtonMarche

イケてるシゴト!?

TCDテーマ一覧

ページ上部へ戻る