ここがヘンだよ集団的自衛権
- 2014/7/16
- 政治
- 集団的自衛権
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左翼の皆さんご安心下さい、右翼の皆さんよく見て下さい
冷戦が終了し、日米同盟の固有の意義が低下している現在においてはなおさら、そんな外国の無人島一つのためにアメリカが前途ある若者たちの命を懸けてでも守ろうとすることなどほとんどありえないでしょう。私は、尖閣の問題でアメリカが日本のためにしてくれることは良くて(果たして効果があるのかないのかもわからないような)経済制裁程度であると思っていますが、仮にアメリカが日米同盟の規約に基づいて何かしらの後方支援をしてくれるとしましょう。しかし、その場合でも、アメリカが支援をしてくれるのは、日本が尖閣防衛のために戦う場合という条件が必須です。何しろ、奪いに来ても日本から主体的になんの抵抗姿勢も取らないような無人島のために、いくら同盟国(これもずいぶん怪しいものですが)と言えど、アメリカは中国と対立するようなリスクは負いたくありませんから、アメリカの支援を受けたければ最低でも、日本が先に「何が何でも尖閣を守るんだ」という姿勢を示すことが必要なのです。
しかし、そうなると、今度は逆に集団的自衛権は国内の防衛、特に尖閣諸島の防衛には直接的には何の役にも立たないことが理解できます。何故なら、尖閣を守るためには日本が米軍より率先して中国と戦う必要がありますが、日本の自衛隊が先に中国と戦うなら米軍が攻撃された場合に、日本も戦闘参加するという集団的自衛権は何の意味もないからです。つまり、集団的自衛権は、日本国外で日本の同盟国が攻撃を受けた際に日本も戦闘参加するか、もしくは、日本が攻撃を受けた際に、自衛隊が何もしなくても米軍が率先して日本を守ってくれるという、現実にはほとんどあり得ない事態を想定しているワケです。しかし、日本が他国、もしくは国外の武装手段から攻撃を受けた際に自衛隊が何もしないということもあり得ないですし、しかも、自衛隊が何もしてない状態で米軍が颯爽と現れて日本を助けるために戦ってくれる(で、しかも、そこで米軍がやられてるのを見て、ようやく自衛隊が戦闘参加する)などというのは一体、どのような事態なのでしょう?発想力の貧困ゆえか、私には想像が出来ません。
このような問題に関して、安倍首相は、はっきりと
「海外派兵は一般に許されないという従来の原則は全く変わらない。外国の防衛を目的とする武力行使は今後も行わない」
日本経済新聞(http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK01031_R00C14A7000000/)
と述べています。
ということは、先の集団的自衛権の目的は海外の外国軍の防衛か、国内の防衛かという問題に関して、明確に国内の防衛のためであると考えているようです。しかし、これまた先に考察したように、国内の防衛において集団的自衛権が役に立つことは、ほとんどあり得ない、どれだけ贔屓目に受け取っても、「極めて特殊かつ限定的な状況に限られる」というのが事実でしょう。
さらに問題なのは、安倍首相は、国内向けにはこのように発言しながら、一方で海外では集団的自衛権によって、南シナ海の防衛を共同で行うという意味に捉えられる発言をしています
(MSN産經新聞http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140530/plc14053023370026-n1.htm)
こうなると、先の「外国の防衛を目的とする武力行使は今後も行わない」という発言とは全く矛盾しており、少なくとも国内か、海外のどちらかの発言は嘘を言っていることになります。
さて、私は、ここまで長々と今回の集団的自衛権の問題について述べてきましたが、最後に一つ加えると、果たして国防安全保障における極めて重要な議論において、このように平気で嘘をつくような(あるいは、嘘をついているととらえられるような)首相を私たちは本当に信用してもよいのでしょうか。
何も私は、「こいつは嘘つきだから、今すぐ政権の座から引きずりおろせ!!」と声を上げるつもりもありませんが、あまりにも安倍首相に全幅の信頼を寄せているかのような現在の保守論壇の平均的な論調をみると、あまりに無邪気な希望的観測にすがり付いているのではないかと思い心配になります。
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コメント
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憲法九条は論理的に破綻である。そもそも憲法九条が称える『一国平和主義』などという概念そのものが成立し得ない矛盾概念である。正常な論理的思考からは決してこのような愚かな概念は出て来ない。平和や戦争という概念は、関係・対立する外国があってこそ成立つ概念であり、一国だけでは成立たない概念である。このような概念はただ戦争を忌避する「感情表現」に過ぎない。国際社会が『自力救済社会』を是としている以上、憲法九条第1項はそのままにし、第2項は「前項の目的を達するために、ただ自衛の為にのみ陸海空軍その他の戦力を保持する」とするのが至当である。所謂「戦争論」には、正戦主義、聖戦主義の二つがあるとされている。戦後の国際社会は正戦主義(キリスト教諸国)を是としてきたが、近年ではイスラム国家のような聖戦主義が台頭してきている。これら二者はいずれも愚かではあるが、国際社会が正戦主義を是とする以上、これに対応(個別的・集団的自衛権容認)しなければ国際社会のメンバーとはなり得ない。但し、日本古来の戦争に関する倫理は『喧嘩両成敗』であるところから、日本の軍隊は『伝家の宝刀』でなければならない。絶対的武力を芸術品として床の間に飾り、日夜「事なかれ」と努め拝むのである。聖徳太子の十七条憲法の「菊の平和」と豊臣秀吉の平和令(惣無事令)の「刀の平和」が合した『菊と刀の平和』こそが日本の平和でなければならない。
『喧嘩両成敗式目』
第1条、戦は絶対悪である(戦の正戦や聖戦の義は認められない)
第2条、戦の裁定者は客観的第三者でなくてはならない
第3条、戦の当事者双方はその理非を問わず罰せられねばならない
第4条、戦の当事者双方は犯した罪に相当する罰を受けなければならない
第5条、戦の当事者に加担した者(助太刀)も同様に罰せられねばならない
第6条、報復の連鎖は断たねばならない