一部の保守論客から評価されている「アメリカ追従路線外交」
この戦後レジーム重要な問題点の一つとして、教育や外交に関し、中国と韓国からの圧力、つまり自虐史観や土下座外交に代表されるような姿勢があります(近年におけるやたらと喧伝された中国、韓国への過剰な礼賛はこの裏返しと言えるでしょう)。この点において、安倍首相は一定の屹然とした態度を取っているのは事実であり、保守派の一部の論客からは非常に高く評価されています。
しかし、安倍首相自身がかつて述べたように、戦後レジームは憲法を頂点とした戦後日本の枠組みであります。そして、言うまでもなくその憲法は戦後アメリカのGHQが作成したものであり、つまるところ戦後レジームの最も中心的な核はアメリカに対してどう対応するかという問題なのです。
対米関係の問題は、もちろん憲法の問題だけにとどまりません。戦後の教育や歴史観に関しても中国や韓国にとって日本が自虐的な歴史観を維持することが必要なようにアメリカにとっても日本が自虐的な歴史観つまり、戦前の日本は悪の帝国であったという虚構に基づいた歴史観を維持し続けることが決定的に重要なのです。何故か?アメリカは、東京大空襲と広島長崎への原爆投下により至上類を見ないほどの民間人への大量虐殺という最悪の戦争犯罪を犯しました。
このような許されざる戦争犯罪をアメリカは如何に正当化したか、このように自体に直面しアメリカは日本は悪の帝国であるというレッテル貼りを持って自らの行為を正当化しました。すなわち日本は戦前に隣国を侵略し多大な苦痛を与えた悪の帝国であるという歴史観を国内外に徹底的に喧伝したのです、このような点においてアメリカと中国韓国は全く結託しているのです。
一つ例を挙げましょう、例えば、主に、中国との歴史認識の問題と考えられている南京大虐殺の問題ですが、この南京問題はアメリカが広島に原爆を投下し20万人を虐殺した数日後に、残虐なる日本人が南京で30万人もの人々を虐殺した事件として話が持ち上がりました。当時、南京には20万人しか人口が存在しなかったにもかかわらずです。さて、この南京大虐殺の話は一体どの国にとって都合が良かったのでしょう?一体どこの国が「日本人は善良なる南京市民を30万人も虐殺した」ことにしたかったのでしょうか?
結局のところ、戦後レジームの本質はほとんどおおよそ対米関係に集約されるのではないでしょうか?憲法問題という戦後レジームの最も核となる問題についても、そして、教育、歴史観、外交、行政システム、どれをとってもアメリカからの呪縛が非常に色濃く表れていると考えてよいでしょう。このように認識するのであれば、戦後レジームの脱却とはすなわちアメリカとの対決というこの一つの問題に集約されることになります。
このように言ったときに、必ず起きてくる反論はの一つは、
「安倍首相は中国と韓国としっかりと対決しているのだ。この上、アメリカとまで対立すれば、日本は全く孤立無援の状態となり、外交は全く立ちいかなくなる。」
というものです。
もちろん、このような意見は全くもってその通りでしょう。日本のようなしっかりとした自国を守る体制が整っていない国家が、周りの国家全てに喧嘩を売れば袋叩きに遭うのは確実です。
しかし、それならばと、中国と韓国を足蹴にしながら、アメリカには徹底的に服従することが正しい選択なのでしょうか?私はそうは思いません。
確かに、アメリカと協調しなければ外交が立ちいかなくなるが、また戦後レジームの脱却のためにはどこかでアメリカと正面から対峙しなければならない・・・このような非常に厳しく、また危うい状況の中でギリギリの平衡感覚を保ち続けようとする強靭な精神力、これこそが戦後レジーム脱却のための必須の条件でしょう。
また同時にその状況からくる精神的重圧に負け、「アメリカについていかなきゃどうにもならん」とばかりに開き直り徹底的なアメリカ追従路線に安易に乗ってしまうような政治家には、そもそも戦後レジームの脱却などという大風呂敷を広げるような能力も資格も持ち得ないのではないでしょうか?
現在の、そして今後数十年間の厳しい世界情勢において、自国の国力の強化及び、自国民一人一人の鍛錬によるの質の向上という二つの最も重要な課題をおろそかにし、超大国であるアメリカに頼るという非常に安易な方法によって国難をやり過ごそうという戦略はあまりにも浅はかで、かつ愚かであるようにあるように思えます。
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