『夢幻典』[参式] 沈黙論

 ここに、沈黙を宣告する沈黙に異議が入る。
 それは、沈黙を宣告しない沈黙ではないかと。
 だから、その宣告の有無において問いが問われる。
 有無の選択において、沈黙は沈黙で無くなるのでなければならない。

 沈黙について語るなり。
 沈黙の後に、それは沈黙についての語りだとして語るなり。
 ゆえに、それは沈黙ではありえない。
 それは沈黙にはなりえない。

 沈黙の区別は付かないのでなければならない。
 その語りにおいて、その区別は付くのでなければならない。
 それは、示されなさにおいて、示されるのでなければならない。
 その不可能性の可能性が示されざるを得ない。
 それは、その可能性の不可能性においてすら、示されざるを得ない。
 否定の連鎖において、肯定性が示される。
 たとえ肯定の連鎖において、否定性が示されるとしても。

 それが智恵であるが故に、それは語られなければならない。
 それが語られぬことの優位性を説く場合においてすら、
 それは語られなければならない。

 ゆえに、言葉の成立の後に言葉の滅却へと向かうなり。
 その前後において、失われたものと、失われず残るものがあるだろう。
 その失われなかったものにおいて、言葉の秘密が示される。

 言葉の内と外を語ることで、その出入りの不可能性が示される。
 そこにおいて、言葉の内外の境界線が仄見える。
 仄見えるのでなければならない。
 それは不可能であるがゆえに、その不可能性が仄見えるのでなければならない。

 それゆえに、そこには抹消作業が無限に為され続ける。
 成され得ないことのために、為され続けることがある。
 成され得ないことを示すために、為されなければならないことがある。
 故に、そこには為されなければならないことなど、無い。
 それは、無いのでなければならない。
 なぜなら、生活世界が成り立たないから。

 生活世界の成立のために、そこには沈黙が要請される。
 それは、沈黙しているのでなければならない。
 沈黙破りという掟破りをもってしても、
 それでも現に沈黙していざるをえない何かがある。
 何かのための沈黙がある。
 それは、あるのでなければならない。

 だから、沈黙は論じられなければならない。
 たとえ、それが語られないのだとしても。
 ゆえに、沈黙論がここに示される。

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西部邁

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