『夢幻典』[参式] 沈黙論
- 2016/11/24
- 思想, 歴史
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ここに、沈黙を宣告する沈黙に異議が入る。
それは、沈黙を宣告しない沈黙ではないかと。
だから、その宣告の有無において問いが問われる。
有無の選択において、沈黙は沈黙で無くなるのでなければならない。
沈黙について語るなり。
沈黙の後に、それは沈黙についての語りだとして語るなり。
ゆえに、それは沈黙ではありえない。
それは沈黙にはなりえない。
沈黙の区別は付かないのでなければならない。
その語りにおいて、その区別は付くのでなければならない。
それは、示されなさにおいて、示されるのでなければならない。
その不可能性の可能性が示されざるを得ない。
それは、その可能性の不可能性においてすら、示されざるを得ない。
否定の連鎖において、肯定性が示される。
たとえ肯定の連鎖において、否定性が示されるとしても。
それが智恵であるが故に、それは語られなければならない。
それが語られぬことの優位性を説く場合においてすら、
それは語られなければならない。
ゆえに、言葉の成立の後に言葉の滅却へと向かうなり。
その前後において、失われたものと、失われず残るものがあるだろう。
その失われなかったものにおいて、言葉の秘密が示される。
言葉の内と外を語ることで、その出入りの不可能性が示される。
そこにおいて、言葉の内外の境界線が仄見える。
仄見えるのでなければならない。
それは不可能であるがゆえに、その不可能性が仄見えるのでなければならない。
それゆえに、そこには抹消作業が無限に為され続ける。
成され得ないことのために、為され続けることがある。
成され得ないことを示すために、為されなければならないことがある。
故に、そこには為されなければならないことなど、無い。
それは、無いのでなければならない。
なぜなら、生活世界が成り立たないから。
生活世界の成立のために、そこには沈黙が要請される。
それは、沈黙しているのでなければならない。
沈黙破りという掟破りをもってしても、
それでも現に沈黙していざるをえない何かがある。
何かのための沈黙がある。
それは、あるのでなければならない。
だから、沈黙は論じられなければならない。
たとえ、それが語られないのだとしても。
ゆえに、沈黙論がここに示される。
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