思想遊戯(7)- パンドラ考(Ⅱ) 佳山智樹の視点(高校)

第二項

 ある昼休みの食後、僕は生徒に開放されている屋上へ向かった。ほどよい天気の日には、屋上をぶらつくのも何となく気持ち良い。屋上には何人か別の生徒もいたけれど、僕も彼らも互いには目もくれず、それぞれがぼんやりと昼休みを過ごしている。
 僕がブラブラ屋上を歩き回って、当たりの景色を何となく見ていると、屋上に水沢さんが上ってきた。それを見つつも僕はボーっとしていたら、水沢さんから声をかけてくれた。
祈「こんにちは。智樹くん。」
 彼女は、僕を下の名前で呼んだ。ちょっとドキッとしたけど、彼女は大人しそうに見えて、割とストレートな性格なので、そんなものかなと気にしないことにした。ここで、僕も下の名前で呼んでもよかったのかもしれないけれど、僕はヘタレなので、きちんと名字で呼ぶ。ちゃんと、さん付けでね。
智樹「こんにちは、水沢さん。」
祈「屋上、好きなの?」
智樹「うん。割とね。たまに上がってくるね。」
祈「私は、そうでもないかな…。」
智樹「じゃあ、今日はたまたま?」
祈「そうね…。」
 そう言って、彼女は風に揺れる髪をおさえる。確かに、水沢さんが男子のあいだで人気があるのは分かる気がするなぁ。身長は低いけれど、それが可愛らしさを際立たせるとか言っていたやつもいたなぁ…。まあ、同意だけど。
 なんとなく会話が続かないので、それじゃあと言って別れようとすると、彼女が口を開いた。
祈「もうそろそろ、進路のこととか、考えないとだね。」
智樹「ああ、そうだねぇ…。」
祈「智樹君は、進路のこととかちゃんと考えている?」
智樹「う~ん、どうだろ? 割と考えてないこともないかも。」
祈「……それって、考えているってことだよね…?」
智樹「まあ、それなりに…。」
祈「例えば?」
智樹「例えば? ええと、そうだなぁ…。やっぱり数学とか苦にならないなら、理系かなって。選択肢も広がるしね。でも、理系っていっても、そこからいろんな選択肢があったりするわけだよね?」
祈「そうだね。」
智樹「信憑性とかはともかく、隆盛する分野って30年くらいしか持たないって話もあるみたいなんだ。」
祈「そうなの?」
智樹「本当のところどうかは分からないけどね。でも、大昔は石炭が流行っていたりしたわけだよね。石油の時代になって廃れたわけだけど。そこまで極端じゃなくても、一昔前はエリートなら銀行勤めとかね。でも、それって、いつまでもそうってわけじゃないよね?」
祈「……そうだね。」
智樹「うん。そうだとすると、選ぶ分野って、それなりに慎重になっておくべきだと思うんだ。」
祈「…それで、智樹君は、どうするの?」
智樹「ええと、最近のニュースとかで流行っている分野とかって、逆の意味で危ないと思うんだ。競争率が高いってのもあるしね。だから、長期的に考えて、自分が定年退職のときのこととか想像して、その時代まで、まあ廃れないなっていう分野を考えるとかね。そうやって考えると、それなりに絞れてくるよね。」
祈「智樹君は、自分の将来を考えているのね。」
智樹「まあ、そりゃあ、ね。自分の人生だしね。早めに決めておくと、精神的にも楽だしね。」
祈「でも、なんか、理路整然とし過ぎていて、逆に危なっかしく思えるけど?」
 そう言って、静かな眼差しで水沢さんは僕を見つめるのだ。僕も彼女を見返して、言った。
智樹「それって、挫折知らずのエリートが、はじめての挫折でもろくも崩れるってやつでしょ? 僕には、それはないなぁ。だって、挫折ばっかりだったしね。むしろ、逆なんだよ。」
祈「逆?」
智樹「そう、逆。僕は挫折ばっかりだったからね。だから、少しだけ慎重になっているだけだよ。水沢さんみたいに、人生が順調ってわけじゃないかね。」
祈「私の人生が順調? なぜ、そう思うの?」
 そう言う彼女の顔は、表情が読み取れない。少し怒らせてしまったのかもしれない。でも、こんなこと、僕は気にしない。
智樹「そりゃあ、そうでしょう。水沢さんは、可愛いし。頭だって良いし。人付き合いもうまいしね。」
 僕は、少しだけ意地悪をすることにした。
祈「でも、それは、智樹君の勝手な思い込みかもしれないよ。私の上っ面に過ぎないかもしれない。」
 彼女は、僕の予想の範囲内の回答を返してくれた。僕は、当たりを見まわして、僕たちの会話が誰にも聞こえていないことを確認してから、言った。
智樹「そうかもね。いや、そうだね。だから、僕は、その上っ面から判断した僕の判断を語ったんだよ。」
 彼女の顔が凍り付くのが見えた。僕は、ここで止めておいた方がよいかなと思ったのだけれど、彼女自身が続きをうながしてきた。
祈「それ、どういう意味かな?」
智樹「…言葉通りの意味。まず、水沢さんが可愛いのは、客観的な事実。成績が良いのも、客観的な事実。そうだとすると、問題は、人付き合いのうまさ。少なくとも、上っ面に関しては、うまそうに僕には見える。それで、問題は内面。上っ面の通りなら、問題ない。心から友達付き合いを大切にしていて、事実、大切にできている。ほら、何の問題もないでしょ? だから問題は、上っ面ではうまく人付き合いをしるのだけれど、本当は心の中では違うことを考えている場合。」
 僕は、そこでいったん話を止めて、彼女を見つめた。
祈「………。」
 彼女は、黙って僕を見ている。それは、にらんでいるのかどうか、僕には判別がつかない。だた、続きを待っているように思えたので、僕はゆっくりと続きを話し出す。
智樹「それで、内面と外面が違う場合だ。極端な場合を言えば、内面ではくだらないと考えているのだけれど、実生活上の都合から、表面上はうまく人付き合いをしているパターン。でも、これって、何の問題があるんだろう? 僕は、もし、このようなことをできる人は、人生をうまく乗り切っていくことができる人だと思うな。だって、そうだろう? 嫌な相手にも、それなりに合わせることができる人ってわけで、それは、人生において重要なスキルなんだよ。だから、仮に、仮にだよ、こういった能力を持っている人の人生は、きっと順調に進むと思うんだよ。」
祈「智樹君は、私をそういう人だと思っているのね?」
智樹「いいや。」
 僕は彼女の心理状態を読み取ろうとしたけれど、彼女はポーカーフェイスを崩さなかった。たいしたものだと思った。
祈「それでは、どう思っているの?」
智樹「僕は水沢さんじゃないよ。だから、水沢さんの内面は分からない。だから、推測するしかない。で、僕は、こう思うんだ。内面と外面のギャップに悩んでいるんじゃないかってね。でも、僕からしたら、それって、罪の意識に苦しんでいるってことで、単に、好いやつだなぁって思うんだ。だって、そうでしょ? 心で思っていることとは違う態度を取っていて、それに悩んで苦しんでいるって。それって、そういうやつって、単純に好いやつだなぁって僕は思うよ。」
 僕がそういうと、水沢さんは、突然振り返って、そのまま屋上から出て階段を駆け下りていった。
 僕は、黙って彼女の後姿を見送った。彼女の姿が見えなくなっても、僕はしばらくその場所から一歩も動かず、ただその場にいた。チャイムが鳴って、僕は次の授業に出るために、ゆっくりと歩き出した。

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西部邁

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