もはや末期?民主主義を掲げながら、議論を拒否する安保法制反対派とシールズの問題点・・・

先日、私はブログで『民主主義を掲げながら議論を拒否するSEALDs(シールズ)さん』(http://ameblo.jp/kattann2525/entry-12065652421.html)というタイトルで記事を書きました。そして、今回またしても安保法制のある種の反民主主義的側面を露わにするような情報を知りましたので、今回はシールズや安保法制反対派の議論や活動の手法の問題点について解説したいと思います。

繰り返しになりますが、私は、今回の安保法制や集団的自衛権に関しては明確に反対の立場を取っています。法的安定性や、自衛隊の戦力拡散の問題、さらに民主的な議論やプロセスを無視するような法案の進め方等、様々な問題を含む安保法制に関しては容易に賛成することは出来ません。しかし、それでは、安保法制に反対している識者や団体が正しい主張や信念のもとに活動をしているのかといえば、全くそうではなく、むしろ彼らの稚拙な言論や活動がますます安保法制賛成派の態度を強硬にしているのではないかとすら考えています。

それで、今回取り上げるのは、京都大学教授で内閣参与の藤井聡氏が京都新聞で受けたインタビュー記事に対する安保法制反対派の反応です。
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この記事の主な論点は3つあります。一つは、現在の安保法の議論において賛成、反対、どちらの陣営においても基本的な理解に欠如があり、そのために議論が上手くかみ合わなくなっているのではないか?という指摘、2つ目はそのような基本的な認識の欠如ゆえに両者が容易に極論に飛びついてしまうという構造(賛成派であれば、「法的安定性は関係ない」「押しつけ憲法なのだからそもそも憲法を守る必要なんてない」反対派であれば「とにかく戦争反対」というような過度に単純化されたスローガンの連呼)が存在するのではないか?という指摘。そして、最後にこのような状況が発生する原因は反知性主義、つまり、しっかりと自身の発言の及ぼす影響について冷静に考えたうえで責任をもって発言すること、「もしかしたら自分の考えは間違っているかもしれない」という謙虚さを持つこと(言うまでもなく、この謙虚さ無しには議論や話し合いは成り立ち得ません)の重要性が軽視されていること、そして、何の責任もなく、とにかくなんでも「自由にしゃべろう」感にあふれていることにあるのではないか?という指摘を行い、最後に、まともな民主主義を機能させるためには国民は勉強し、慎重な発言を心がける必要があると結論しています。

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西部邁

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コメント

    • muk
    • 2015年 9月 14日

    とりあえずクマの着ぐるみを着たりゾンビマスクを付けたりして「キモロン毛=>ハゲ」とか「低脳○○信者」とか動画で言っちゃうような人や、パソコン持ってデモ撮影する人にならないように一人一人が節度とマナーは勉強したほうがいいですね。

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