マルクスの黙示録は外れた
『資本論』が一八六七年に出版された一〇〇年後に、革命社会主義は、その機が熟したはずの国々で打ち負かされ、そしてマルクスが予期しなかった国々に勝利をもたらしました。一九五〇年代後半に先進国の経済問題を解決したかにみえたのは、社会主義ではなく資本主義でした。しかしそれはマルクスが必死に読み解いて分析した資本主義ではなく、国家管理、社会保障、労働組合などの大幅な修正を加えた、これが同じイデオロギーかと見まごうほどの資本主義、つまり修正資本主義と呼ぶべきものでした。
全てを飲み込み金銭的価値に換算する資本主義という怪物
思えば、資本主義は常に体制であり、様々なカウンターカルチャーによる攻撃を受けながら、それを打ち倒してきました。しかし、それは社会主義国家のように、対立する理念を弾圧し、抑圧するような方法ではなく、むしろ、それを飲み込み、あえて取り込むことで、カウンターとしての存在意義を無化するという方法でした。フリーセックス、反戦平和、ドラッグ、ロックンロール、要はセックスだろうが、ドラッグだろうが、バイオレンスだろうが、資本主義はなんでも飲み込み、包装紙に包み込んで、販売可能な商品に仕立て上げてしまったのです。
このような資本主義のもつ社会改革を抑え込む力を、マルクーゼは「封じ込め」と呼びましたが、また同時に資本主義は多元的共生の要素も兼ね備えています。つまり、自由主義を奉じる民主社会は、利得追求に反対する多くの活動家を保護しますし、国家の防衛力であると同時に暴力装置である軍隊や警察力の存在を前提とする国家は、同時に反戦平和活動家をも保護します。
マルクスの誤算
このような何でも飲み込む力を持った資本主義は、社会主義をも飲み込んだのでしょう、自由と資本主義の守護者を自称する多くの論客が見落としているのはこの点です。つまり、一九三〇年代の大恐慌で明らかな行き詰まりを見せた資本主義が鮮やかな復活を遂げたのも、冷戦の状況下で経済力と豊かさを拡大し、見事に社会主義を打倒してみせたのも、どちらかといえば、資本主義の持つ、資本主義的な力や特性ではなく、むしろ、資本主義の持つ、全く反対の理念と特性を持った社会主義的特徴をも飲み込む資本主義の柔軟性にあった。要は、資本主義が勝利を収めたのは、資本主義の持つ資本主義的特性によってはなく、むしろ逆で、資本主義が内包した社会主義的特性が資本主義に勝利をもたらしたのです。
コメント
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高木克俊様
世情に流布している「マルクス主義」について、マルクス本人が、「これがマルクス主義なら、俺はマルクス主義者ではない」と言ったという話が伝わっています。
資本主義の否定としての社会主義ではなく、資本主義の完成としての社会主義、がマルクスの考えた社会主義であると私は考えています。
以下のものがご参考になればと思うのですが。
8.試行第六八号 1986年2月10日発行 より転載
http://homepage2.nifty.com/okutamahomeless/jokyo8.htm
(文中、「主催者」とあるのは、先年亡くなられた吉本隆明氏のことです。)