台湾から届いたデス声のラブコールーCHTHONIC(ソニック)「玉砕」ー

台湾でも日本に好意的な教育はなかったが、台湾の若者が日本に好意的になれた理由

 しかしながら、という話をちょっと挟んでおきます。戦後の台湾は、皇軍と敵対した中華民国によって支配・統制されているのですから、学校で教えられる歴史において、戦前・戦中の日本が肯定的に描かれているとは考えられません。むしろそれは、特攻隊をケレン味なくリアルに受けとめるうえでの心理的バイアスを若い人たちの心に生じさせている可能性が高いのではないかと思われます。

 ソニックが、戦前・戦中の日本とじかにつながり、あふれるほどの情感をたたえたままで、特攻隊をその精神の深みにおいてじゅうぶんに受けとめることを可能にした要因の核に、高砂義勇軍の存在がある。私は、そう考えるに至りました。

 高砂義勇軍の精神が、祖父から父へ、父から孫へと語り継がれ受け継がれたがゆえに、ソニックは、特攻隊をリアルにつかまえることができ、それをブラック・メタルという内的必然を感じさせる表現方法で、東シナ海の彼方にいる異国の民に衝撃を与えながら伝えうるのです。

 高砂義勇軍について、ここでその詳細に触れる余裕はありません。それが、勇敢な戦士の伝統を受け継ぐ山岳先住民族の子孫によって構成されていること、「軍」とはいいながら正式の軍隊とは認められず軍属であったこと、にもかかわらず過酷な南洋戦線において勇敢さと卓越した戦闘能力と、ゆるぎない忠誠心とを示し、またたく間に同僚の日本軍の尊敬と賞賛とを勝ち得たことを述べるにとどめておきましょう。

 次の印象的なエピソードを引いておきましょう。ある元日本兵が、台北市郊外にある高砂義勇碑を訪れたときのことです。彼は、同じ部隊で戦い戦死した、高砂族の兵士を慰霊するべく同碑に赴き、そこで昼飯にと差し出されたにぎりめしを見て、いきなり涙を流し、慟哭しはじめました「俺はこの握り飯を彼の前で食うことはできない」と。

 彼の部隊は東南アジアで作戦中、食料不足で飢えに苦しみました。そこで足腰が強く、ジャングルに強い高砂族の兵士が、はるか彼方の基地まで食料を取りに行ったそうです。しかし何日待っても帰ってこない。様子を見に行ったら、彼は部隊まであと少しというところで、両手一杯の米を抱えて餓死していた。米を持ちながらの餓死。(略)餓死するほどの限界に達しながらも、多くの日本兵が心待ちにしている食料には一切手をつけなかったのです。
http://ameblo.jp/lancer1/entry-10008907238.html

 この餓死した高砂義勇兵の誠は、ソニックのメタル・ハートにも熱く脈打っている。だからこそ、彼らのサウンドは、戦後思潮に毒され切った私の心をも激しく揺さぶるのでしょう。『高砂軍』のなかの「Root Regeneration」というインストルメンタルナンバーは、敗戦を迎えてやむなく故郷に帰っていく高砂義勇軍の敗残兵たちの、敗戦と失った戦友への思いによって重く沈みがちな心を、哀切きわまりない旋律で表現しているのです。

外国人に、自国の歴史、自国の良さを教わることは滑稽だと自覚しよう

 さらに曲のなかには、セデック語(高砂族の部族語のひとつ)のナレーションが挿入されます。それは、セデックの先祖たちがその末裔の敗残兵たちに「運命に逆らうことはできない。お前たちは生まれながらの戦士。自信を持て」と語りかけたものです。この、祖先と敗残兵との内的な交流の全体図に、ソニックの魂の淵源が凝縮されているような印象を受けます。

″高砂義勇兵が凄いのは分かった。しかし、彼らと特攻隊とは直接の関係がないのではないか″という疑問を持たれた方もいらっしゃることでしょう。なにを隠そう、私もそう思っていました。ところが実は、高砂義勇兵と特攻隊とは大いに関係があるのです。

 台湾の薫(かおる)空挺隊の大部分は、高砂義勇兵だったのです。薫空挺隊の四〇余名は、一九四四年十月から始まったレイテ戦で出動しました。生存者は一名も確認されていません。つまり全員玉砕です。これを特攻と呼ばずしてほかになんと呼べばいいのでしょうか。戦死した彼らは靖国神社に祀られています。ソニックはそのことを、特攻隊をふくむ高砂軍へのレスペクトとその無念への深い哀悼の意を込めて、心から肯定的に受けとめているようです。台湾には、戦死した高砂義勇兵を慰霊するための公的施設がないのです。

 ソニックの紅一点でベーシストのドリスは、『高砂軍』のなかのもう一曲「KAORU」に関連して、「戦争を賛美するつもりは全くないが、亡くなった兵士たちの思いは尊重されなければならない」と発言しています。きわめてまっとうな考えです。

 「KAORU」のモチーフは、もちろん薫空挺隊です。「玉砕」や「KAORU」を聴いて、もしも「戦争を美化している」という感想が湧いてきた方がいらっしゃったら、一度は、自分の思考回路を疑って、内なる自己検閲の所在を確認してみることをお勧めします。″オレは保守だから大丈夫″というわけでは、どうやらなさそうですから。

 ちなみにドリスは、ご当地台湾で、セックスシンボルとして「君臨」しているようです。You tube で彼女のインタヴューの模様をいくつか確認してみましたが、知的でクールなうえに東洋的な柔らかさと細みとを兼ね備えているので、とても魅力的であると感じました。私が台湾人だったら、年甲斐もなく彼女の追っかけをやっているかもしれません。

 話を薫空挺隊に戻します。次に掲げるのは、同隊員のうちの誰かがレイテ戦線に出陣する前に宿舎の壁に書き記した辞世の一首です。

花負いて 空うち往かん 雲染めん 屍悔いなく 吾ら散るなり

 ひとりの日本人として、私は、ソニックの「玉砕」に込められた、熱くて激しくて哀しい思いとともに、この短歌に凛凛と響いている戦士としての誇り高さと言外の無念さとをできうるかぎりまっすぐに受けとめたいのです。膝を崩して言えば、「台湾人から大和魂の所在を教えられ、叱咤激励されるようじゃ、オレはまだまだダメだなぁ」と思うのですね。また、一度は台湾へ行ってみたいという思いが今回のことで強くなりました。できたら、ソニックのコンサートの日程に合わせて行ってみたいなぁ、と。

 無念さといえば、曲の後半に登場する玉音放送の迫力が凄いですね。昭和天皇の声音が、散華した兵士たちの無念の思いを凝縮したものに異化されているように感じるのは私だけでしょうか。彼らのライヴでは、「玉砕」の演奏後、玉音放送がフルボリュームで会場に延々と響き渡ります。

 最後に、PVのラストについて、一言。散華した零戦が、まっすぐに天を昇ってゆき、鳳凰に化身しますね。鳳凰は、西洋の不死鳥(フェニックス)と混同されがちですが、どうやら、それとは神話的な意味が異なるようです。鳳凰には、「もろもろの鳥の王者」という意味と、「ゆるぎない平和が実現したときにしか姿を現さない」という特徴とがあります。

 だから、このラストからは、ソニックの″さまざまな苦悩や恐怖心を乗り越えて敵機に激突しようとし散華した特攻隊員たちの、戦士としての悲愴な心持ちには最大限のレスペクトが払われるべきである。また、彼らの壮絶な闘いぶりは、そのままで、平和への欲求を暗示している″というメッセージを受けとめるべきであって、特攻隊は不死鳥のように蘇ると言っているわけではないと、私は考えます。

 以上、いろいろと申し上げたことを踏まえたうえで、もう一度冒頭のPVを聴いていただければ幸いです。そうして、もしも「玉砕」の心により深く触れえたと感じていただけたならば、この拙文を書いた意味は果たされたことになります。

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西部邁

美津島明

美津島明

投稿者プロフィール

一九五八年生まれ。長崎県対馬出身。
個別指導専門学習塾を経営。日本近代思想研究会、日本近代評論を読む
会の主宰者。経済問題研究会専門講師。ブログ雑誌「直言の宴」管理人。
著書『にゃおんのきょうふ』(2009年発刊)。

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