本当に東日本大震災を忘れないために
- 2014/1/17
- 社会
- 東日本大震災
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先日、友人と二人で飲みに行っていたのですが、なんとなく東北の震災復興の話になりました。震災の発生直後は、なんとなくお祭り騒ぎをして盛り上がることに対して自粛を促そうとする雰囲気がありましたが、また一方では、あまり自粛ムードに包まれて皆がお金を使わなくなると、ただでさえ震災で打撃を受けた日本経済がますます停滞していくだけだ、東北の人たちを心配したり、震災の発生を悲しむことは大事だけどそれはそれとして、私たちは普通に楽しく生活しよう。というような意見もありました。
直接被災していない人たちは、災害とどう関わるべきなのだろう
もちろん、この二つのうち、どちらの意見が100%正しいということはないでしょう。震災の直後から、「まあまあ、自分たちまでおとなしくすることもないですし」といって馬鹿騒ぎするような人々はあまり人間的に信用できないですし、反対にあまりにも過剰に自粛ムードを他者にも強要して、少しでも楽しそうにしている人たちを見つけては「不謹慎だー!!」などと大騒ぎしている人間にも、また別の種類の胡散臭さを感じたものでした。一方で、また当時日本の経済は実際に大変な危機的状態でもあり、確かにあまり日本中が自粛ムードの中でお通夜状態になり、遊びにも行かない、飲みにも行かないなどという状態が継続すればますます景気が落ち込み、ますます大変な状況になりかねないという事情も確かに存在しました。
また、復興をどのようにおこなっていくべきかという議論も存在しました。当時は善意のボランティアの方々が居ても立っても居られず、大勢復興のお手伝いのために東北へ駆けつけましたが、当然、やることもなかったり、あるいはむしろ逆に大変な状況の中で迷惑をかけてしまった方もいたそうです。そのような状況の中で、効率的、計画的な復興、あるいは東北経済の活性化のためにも、ボランティアの人たちに個々バラバラに作業をしてもらうよりも、可能な限り政府主導の公共事業というカタチで進めていったほうがいいのではないかという議論もありました。物凄く簡単に二分すると善意のボランティア派と政府の公共事業派の二つです。
このような議論の中でどうしても多くの人は、「過度に感傷的でヒューマニスティックな善意のボランティア派」と、「ケインズ主義的な考えにもとづいた経済問題重視の公共事業派」に別れる傾向があるのではないかと感じました。現実には、個々人の善意にもとづくボランティアも、政府主導の公共投資もどちらも必要であることは当然です。ボランティアにも公共投資にもそれぞれの効果がありますから、過度にどちらかに偏ることなく、両方を有効に活用することによって初めて効率的な復旧復興が実現されるでしょう。
個々人がバラバラにボランティアとして復興のお手伝いをするだけで、道路や橋や原発の問題が解決するはずはないので、当然政府の公共投資が必要なのは言うまでもありませんが、ケインズ主義的な公共投資重視派の人の中には、ボランティアの人で東北に来てくれた方々に積極的に金銭を配布すべではないかという議論も一部で存在しました。
両方の気持ちを汲み取った折衷案
もちろん、それを完全に否定するつもりもないのですが、中には「私は、善意のボランティアで東北にお手伝いに来たのだ!!お金をもらうために来たのではない!!」という心情で、金銭を受け取ることにある種の不快感を覚える方もいるかもしれません。そのようなことを考えていた時に、私はある種の折衷案として、東北までボランティアに来てくれた方に東北の被災地域のみで使用可能な地域振興券(商品券)を配布するのが良いのではないかと考えました。
現金を受け取るのは少し気が進まないというような方でも、用途が限定された地域振興券であればそれほど抵抗なく受け取ってもらえるのではないでしょうか、さらに、使用可能な地域を被災地域に限定すれば、かならず東北で使用されるため東北の飲み屋や宿泊施設で使用されることによって経済再生にも役立ちます。さらに、あまりお金を持っていない学生のボランティアの方などにとっても、被災地での旅費や食費の一部を地域振興券でまかなうことが出来れば、行きやすくなると思います。さらに、このようにボランティア活動の一部に行政が関与すれば、ボランティアで来てはみたものの何をすればいいのか分からずに立ちすくむなどということも多少は減ると思いますし、また一定の報酬を与えることによって、ボランティアの方のもともとある善意に加えて、責任感をより持ってもらえるかもしれません。
災害を無駄にしない。本当の「忘れないよ、東北」とは
今後、地震や津波に加え、様々な大規模な自然災害が発生することが予想されていますが、再びそのような事態に陥り、大規模な復旧復興作業が必要になった時、また同じような議論が繰り返されるのだと思います。その時今回の震災の時と同じように、何か過度にヒューマニスティックな感情論や、過度に経済合理的な論理に傾くことなく、大きな視点で、かつ解像度の高い、バランスのとれた議論を進めようとする中で、この被災地における地域振興券の発行と配布は一つ有効なオプションとして機能しうるのではないかと私は考えます。
また他の立場の方には違ったアイディアがおありだろうと思います。ひとつひとつは小さな考えに過ぎないのかもしれませんが、こういった様々な震災を通して考えられたことをより集め、熟議を重ねていくことで、再び起こるであろう大災害に備えることが東日本大震災の経験を活かす、つまり日本にとって避けがたいものである「災害」に対応する思考を強靭化していくことになるのではないでしょうか。
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