2016年も新年度を迎えました。2010年代もいよいよ後半に入ります。今から20年前というと1990年代の後半となります。90年代というのは20世紀と21世紀に挟まれたボーナストラックの年代だと申し上げました。
しかし、掘り下げれば、掘り下げるほど、この90年代のダメージが今に押し寄せているような気がしてなりません。そして、2010年代も後半に入ったということで、3回にわたって、90年代後半を語る上での作法のようなものを申し上げていきます。
1995年という節目
ちくま新書より、『1995年』という書籍が発売されています。Report.1でも紹介した『1985年』を意識して、現代史を違った切り口で問い直すという、社会学ではよく見られる、リミックス本であります。
ただ、注目したいのは、1985年は日本だけでなく世界でも大きな出来事(プラザ合意など)がおこり、そのメインキャストとして日本も存在してきますが、1995年は世界的な日本というよりも、日本の国内で起こった事件がセンセーショナルであり、日本の内向き傾向が始まった年ともとらえられます。
1995年といえば、阪神大震災に始まり、オウム真理教による地下鉄サリン事件といった戦後日本が経験したことのないような事件が勃発し、戦後50年の節目ということで、村山談話が発表された年でもありました。
アニメでは、新世紀エヴェンゲリオンが放送開始。ゼロ年代には、「セカイ系」と揶揄される世界観を生み出すきっかけとなった作品でもあります。
そして、11月にはWindows95の発売。コンピューターがコモデティ化していくきっかけとなったソフトでもあります。
まずは、震災とオウム真理教について見ていきましょう。
震災によって感じた儚さとボランティア
1995年の1月17日に起こった阪神淡路大震災では、6434名が犠牲となり、当時、戦後日本の自然災害では最大の数でした。
特に、進歩的な気風で、日本の中でもモダンな神戸の街並が崩れてしまった様子は、当時小学生だった私にもセンセーショナルに残っています。
例えば、阪神高速の高架が倒壊している様子やポートランドの護岸が崩れてしまった様子など。幼かった私でも、人間が今築いているものというのが、大自然の前、地球に取ってみれば、儚いものなのだと実感したものです。
あわせて、震災の様子を見て、人々は「何かできないか」と思いつき、とるものもとりあえず、駆けつけたりしました。いわゆる「ボランティア元年」です。それまで、ボランティアという概念自体が日本に根付いていたとは言えない中で、この震災は契機になりました。
今の年齢になって、思うに、テレビを通じて、伝わる現代の儚さへの対抗として「とにかく現場へ!」といった思いが強くなったのではないかと思います。実際、その教訓が生かされ、東日本大震災のときは、ボランティアの受け入れ体制が早急に敷かれ、現地へ向かうボランティアもそれなりの準備が必要ということも理解した上で熱心に参加していたようです。
90年代は現場が崩壊していった年代
数年後に大ブレイクする『踊る大捜査線 THE・MOVIE』では、織田裕二演じる青島が、クライマックスシーンで、責任の押し付け合いをしていた上官たちが手柄を前にして、四の五の言いだすのを聞いて、無線で渇を入れます。
「事件は会議室で起きてんじゃない、現場で起きてんだ!」
当時小学生だった私も胸が熱くなったわけです。
それは一体どうしてだったのか?
佐伯啓思先生の言葉を借りれば、以下のようになります。
労働・土地・貨幣といった生産要素の自由化・市場化によって、社会的生の土台が崩れた。
つまり、人々の「生き方」が揺るがされていったということです。
これは一般論ですが、変化はトップダウンですが、崩壊は末端から起こっていきます。社会的生の土台の崩壊はまさに、末端、つまり「現場」から起こっていったわけであり、私も含めた大多数の国民にとっては、「現場」が現実・リアルであったわけです。
特に90年代後半に10代・20代を過ごした人々にとっては未来に向けて、何かを作っていくというよりも、今あるものが崩壊した後、何が残るのか、何を残すべきなのかという議論が中心になっていくわけです。
生き残る権利としてのスピリチュアル
神秘主義、スピリチュアリズムというのはいつの時代も流行っているもので、1990年代後半も例外ではありませんでした。
例えば、1995年にブレイクした「脳内革命」など、自己啓発も含んだような内容のものが増えてきます。先にも申し上げたように、現実や現場は崩壊の一途をたどっていくわけで、それでも私たちは生きていかなければなりません。
つまり、自分たちが後世に残るべき存在になるためには、「自己啓発」しかないわけですね。実際、資格スクールも90年代に興隆し、先日休刊になった「ケイコとマナブ」も90年に創刊されました。
一方で、資格の取得など、「自己啓発」を伴わないで、後世に残る権利を受けたいと思う人々も出てきます。そういった人々がはまったのが、「スピリチュアル」な世界観だったといえるでしょう。こういう考え方からいくと、90年代以降のスピリチュアルというのは、どこか選民思想を伴ったものであるといえます。自分が次の時代へ進む資格があると現実の基準とは違った基準で与えられるのですから、それは間違いなく選民思想に近づきます。
スピリチュアルとしてのオウム真理教
オウム真理教の組織や教義などの構図はまさに、そういった選民思想を土台にしたものでした。そういう意味で、崩壊していく現実に対抗するだけの価値観を携えていたといえるのかもしれません。
だからといって、私はオウム真理教に入ろうとは毛頭思いませんが、あの当時を生きた人間は、何かしら、今まで築かれてきたものが崩壊していく感覚と次の時代に生き残るための能力、資格を問われているというストレスを与え続けられていたということはいえるでしょう。
そういう意味で、オウム真理教をテロ集団の烙印を押して、特殊なものとして扱うことは、謙虚さが足りないということです。オウム真理教の本質が、70年代後半から流れてきた、神秘主義的なものが時代の崩壊感とマッチした選民思想的なスピリチュアル的なものだとしたら、多くの国民の心が痛むはずです。
90年代後半を語る上での作法序
震災とオウム真理教を今回はメインで取り上げましたが、90年代後半を語る上で見逃してはいけないのが、「テレビの中はテレビの世界」というボーダーが取り外されたことです。
浅間山荘事件のとき、現場へ行こうと思った視聴者がいたでしょうか?
赤軍派がよど号をハイジャックした際、あるいは日航機が墜落した際、自分がその機体に乗っていたかもしれないと想像したでしょうか?
そういった「テレビの中と視聴者」のボーダーが徐々に取り外されていったということも、90年代の大きなトレンドでした。
※第32回「フラッシュバック 90s【Report.32】1990年代後半を語る作法について(破)」はコチラ
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