モンテスキュー(Charles Louis de Secondat de la Brde et de Montesquieu,1689~1755)は、フランスの啓蒙思想家であり、法学者です。著書である『法の精神』には、有名な三権分立論が示されています。
ここでは権力の分立を考察するために、イギリスの経済学者であり政治学者でもあるバジョット(Walter Bagehot, 1826~1877)の見解も参照します。
モンテスキューの政体の分類
モンテスキューの『法の精神』では、政体が次のように分類されています。
(1)共和制
・人民全体、あるいはたんに人民の一部が主権をもつ政体。
(2)君主制
・唯一人が、定まった制定法に則して統治する政体。
・原理は名誉。
(3)専制
・唯一人が、自分の意志と気まぐれにより支配する政体。
・原理は恐怖。
さらに、共和制は次の二つに分類されています。
●民主制
→ 人民全体が主権をもつ共和制。
→ 人民が代理者すなわち執政官を任命する。
→ 原理は徳性。
●貴族制
→ 主権が人民の一部の手中にある共和制。
→ 主権は一定数の人々の掌中にある。
→ 原理は節度。
モンテスキューは各政体の原理について、民主制における徳性、貴族制における節度、君主制における名誉、専制における恐怖を挙げています。しかし、この原理についての考え方は不適切だと思われます。恐怖はともかく、徳性と節度と名誉は、どの政体にとっても必要なものだからです。それらを特定の政体の原理として掲げるのは、政治を考える上で不十分でしょう。
モンテスキューによる政体の腐敗
モンテスキューは、それぞれの政体の腐敗について語っています。
●民主制の腐敗
→ 人々が平等の精神を失うとき。
→ 人々が極度の平等の精神を持ち、選んだ支配者と平等たろうと欲するとき。
●貴族制の腐敗
→ 貴族の権力が恣意的となるとき。
●君主制の腐敗
→ 国王がしだいに諸団体の特権や都市の特権を奪うとき。
→ 権勢者から人民の尊敬を奪い、彼らを恣意的な権力のいやしい道具とするとき。
●専制の腐敗
→ その本性からして腐敗しているから、たえず腐敗する。
民主制が腐敗するときの例として、平等が失われるときのみならず、極度に平等になるときも挙げられているのは傾聴に値します。
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