『シン・ゴジラ』は『ゴジラ対フェミニスト』である。

『シン・ゴジラ』は『ゴジラ対透明人間』である。

 さて、そんなわけでおしなべて評価の高い『シン・ゴジラ』ですが、もちろんこれを快く思わない人々も存在します。批評家の杉田俊介さんは本作を

『シン・ゴジラ』は一番作っちゃいけない作品だったのでは。政権批判の意図があるのだろうけど、「合理的で外交力があり命懸けで専門的分業を行う強い日本人」がそんなに理想なのか。オタクや映画人集団が、なぜエリートや霞ヶ関や自衛隊ばかりに夢を託すのか。

自分たちの性格や体質や組織をどう改善するのか、どうすればましになれるのか、という痛みのある考察や苦闘の痕跡がなく、意識改革さえすれば元々ポテンシャルはある、「この国はまだまだやれる」「この国は立ち直れる」という日本人=日本国家への信頼と鼓舞ばかりが語られ、不気味だった。

軍事主義的な女性と、学問オタク的な女性と、将来の米大統領候補の女性しか出てこず、つまり「あらかじめ男性化された女性たち」しか出てこず、全体として異様にホモソーシャルな空間であることも気になった。

 と評しました*3。

 さんざん「怪獣ごっこ」と形容した本作ではありますが、同時に「3.11」や「核」の暗喩が大いに込められていることは小山さんの記事でも明らかなところです。

「この国はまだまだやれる」「この国は立ち直れる」といった台詞は(確か)劇中で実際に発せられ、ここからも「3.11」の陰が見て取れます。本作を『プロジェクトX』に準えて評する感想も聞かれましたが、しかし、そうしたものを快く思わない人がいるのもまた、わかりきったことではありますよね。何しろ『ガメラ2』(1996)の時も「自衛隊が格好よく描かれている」との理由で、確か『赤旗』が噛みついていましたし。

「アメリカがゴジラを倒すことを口実に核を投下しようとする」というシークエンスに注目した時、本作は「ニッポン対ゴジラ」というよりは「ニッポン対アメリカ」の様相すら呈しています。フランスを焚きつけて核投下を遅らせた場面で、アメリカ側の要人が「日本にもこのような外交ができるとは(大意)」といった台詞を語らせる場面があり、ここはぼくも少々、あざといなといった印象を持たなくもありませんでした。

 杉田さんの「作っちゃいけない作品」という傲慢な評には特撮オタクからの強い反発がありましたが、「右傾化」を危惧する左派の反発として考えると、まあ、想定内の感想ではあるなあ、としか言いようがないわけです。辻田真佐憲さんもほぼ同様な論旨で「『シン・ゴジラ』に覚えた“違和感”の正体?繰り返し発露する日本人の「儚い願望」野暮は承知であえて言う(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49434)」といった文章を発表していました。

 しかし、ここで、ぼくはむしろ杉田氏の、「ホモソーシャル」*4との評に注目してみたいのです。
 先に書いたように、本作は「離婚の危機に陥った夫婦とか、娘を失った父親の悲しみとかいった」、ある種、女性を主体にしたドラマを廃しました。結果、登場人物の恐らく95%くらいは男性が占める結果となり、「ホモソーシャル」との評がなされることはやはり、自明すぎるぐらい自明なのです。

「右傾化」への「左派」の反発と「男性原理復権」への「ホモソーシャル」であるとの反発は、(前者のある種の必然への情緒的反応という意味で)全く軌を一にしていると言えます。

 本作に登場した主な女性は石原さとみ演ずる米国大統領特使、カヨコ・アン・パタースン、市川実日子演ずる巨大生物対策委員会(対ゴジラ)メンバー、尾頭ヒロミの二人です(杉田さんの評における「学問オタク的な女性」が後者、「将来の米大統領候補」が前者。「軍事主義的な女性」というのは恐らく防衛大臣なんでしょうが、すぐ死んじゃうのであんまり印象がありません*5)。

 一応、本作でヒロインと言っていい位置にいたのが石原さとみなのですが、超有能という設定に加え、ルー大柴みたいなしゃべり方のせいで、リアルな登場人物の中、一人だけ浮いた存在となっていました。言わば彼女だけ「漫画」的、「キャラ」的、「萌え」的な描かれ方がなされていたのです。「一般的な映画の要素を入れよ」との要求を突っぱねつつも、さすがにヒロインを出さないわけにはいかず、一人だけ「女性ジェンダーの体現者」を出した。しかしあの作品世界ではそれが、漫画的な表現にならざるを得なかった、ということですね。男性原理を基調とした本作に人間らしい「感情」を見せる女性、まさに「紅一点」として石原さとみが出てくると急に「漫画のキャラ」が入ってきたような違和感が生じ、それがゴジラ以上に浮いた存在に見えてしまったわけです。

 もう一方の市川実日子は「有能だが、能面のように無愛想な不美人」という、裏腹にリアルな存在として描かれていました。しかしそれ故に「男たちが見せる僅かな人間らしい関係性」に「加わる」ことができず、本当に非人間的な存在になっていました。
 徹底した男の世界の描かれた本作で、女性ジェンダーの立ち入る余地はない。そこに「漫画的な」女性を出すと浮いてしまうが、「リアルな」女性を出すと女性ジェンダーも男性ジェンダーも発揮することができない「透明人間」として描くことしか、できなかった(ただし最後の最後で微笑むシーンが描かれて、ここで人間らしさがやっと垣間見え、好ましく思えるようになっている辺り、「ずるい!」という感じなのですが)。

*3 『シン・ゴジラ』は一番作っちゃいけない作品だったのでは(http://togetter.com/li/1008104
*4「ホモソーシャル」という概念については既に何度も書いているのですが、よければ以下を参照してください。
「ホモソーシャル」というヘンな概念にしがみつく人たち (http://blog.goo.ne.jp/mdsdc568/e/c3d3192edc370c5d58eb40d28cd09a09
*5 ただし(「軍国主義的」という杉田氏の評の通り)タカ派っぽい印象が強く、この種の「リアルな」ドラマで女性政治家を出す時、扱いに困ってタカ派にすることが比較的多い印象があります。

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西部邁

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