京都地下鉄の萌えキャラにクレームをつけたのはフェミ…じゃなくて“まなざし村”!?
- 2016/2/18
- 文化, 社会
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リベラル君のコウモリぶりが熱すぎる件
今日は2016年2月18日です。
先月から我々兵頭新児のことで世間をお騒がせしました。
そして、沢山の方々に、たくさんのご心配とご迷惑をかけました。
この度は、ぼくたちのことでお騒がせしてしまったことを申し訳なく思っております。
今回の件で、オタクがどれだけフェミニスト様の温情と慈悲に支えていただいているかということをあらためて強く感じました。本当に申し訳ありませんでした。
今回、上野千鶴子さんに謝る機会をリベラル君が作ってくれて今、ぼくらはここに立てています。
最後に、ここから自分たちは何があっても二次元だけを見て、ただ二次元だけを見て、リアルなセックスは元より実写ポルノは全て諦め、マスターベーションに邁進したいと思いますので、皆さんよろしくお願いいたします。
――どうも、兵頭新児です。
何はともあれ、まずはお詫びをさせていただきました。
え? 何に対するお詫びか? えっとですね、実はこの度、ワタクシ、兵頭新児はオタク界の上層部の意向に反発を感じて独立騒動を起こしてしまい、大変に怒られてしまったのです。
きっかけは京都の萌えキャラの件でした。
以前も何度か近いニュースをご報告してきましたが、今度は京都市交通局の地下鉄・市バス応援キャラクター、太秦萌ちゃん、松賀咲ちゃん、小野ミサちゃんの三人がやり玉に挙がったのです。
ぼくはついつい調子に乗り、フェミニストの悪口を書いてしまったのですが、それがリベラル君*1の目にとまり、お叱りを受けてしまいました。
「オタク文化を目の仇にしているのはフェミニストではない、“まなざし村”だ」。
この“まなざし村”というのはここしばらくのツイッター界隈で使われるようになった言葉ですが、要は「(女性を、或いは萌えキャラを)性的な視線で見つめること、即ち“まなざす”ことはセクハラである」といった論拠で性的な表現を否定する人々を指す言葉です。
ぼくは上野千鶴子教授を批判していたのですが、ポルノや萌えキャラを叩いているのは“まなざし村”の人々であり、上野教授はオタクの敵ではないのだそうです。
何でも、それは彼女の近著『女ぎらい――ニッポンのミソジニー』を読めばわかるとのこと。ではちょっと、同書を開いてみることにしましょう。
想像力は取り締まれない――それが多数派のフェミニストが暴力的なポルノの法的な取り締まりを求めることに、わたしが同調できない理由である。
日本でもポルノ規制をめぐって、一部のフェミニストとコミックライターや作家とのあいだに「表現の自由」論争が起きたが、わたし自身は、フェミニストのなかでも「表現の自由」を擁護する少数派に属する。
(80p)
本当ですね。
教授は近年、この種の発言を繰り返しています。「うぐいすリボン」というリベラル君の総本山とも言える組織の集まりでも、近しいことを言っていました*2。
なるほどなるほど、これは確かにぼくの不見識でした。
早速食事会を開き、教授に陳謝することにいたしましょう……と思いつつちょっと前のページをめくってみると。
売買春とはこの接近の過程(引用者註・男女のおつきあい)を、金銭を媒介に一挙に短縮する(つまりスキルのない者でも性交渉を持てる)という強姦の一種にほかならない。
(57p)
――って、ポルノの前に売買春を全否定しとるやないかいッ!!
言うまでもないことですが、ポルノは「売買春記録物」です。
つまり、キョージュはポルノは強姦だと断言なさっているのです。
何しろ別の記事ではもっとすさまじく、
たとえば、売春業が「強姦の商品化」だとすれば、キャバクラは「セクハラの商品化」である。
やはり、風俗は完全になくすべきだという結論以外にない。
とまでおっしゃっているのですから*3。
*1 ひとまず本稿では、オタク界のリベラル寄りの人々を想定しています。児童ポルノ法やアニメ、漫画などの規制に反対している方が多いです。
*2「堺市立図書館BL小説廃棄要求事件を振り返る(http://www.jfsribbon.org/2012/10/bl.html)」
*3「上野千鶴子氏 売春は強姦商品化でキャバはセクハラ商品化(http://www.excite.co.jp/News/society_g/20130609/Postseven_191042.html)」
コメント
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表現規制反対派の人たちはよく「まなざし村民のような似非フェミのせいで本当のフェミニストが迷惑している」といったことを主張しますが、これが無理のある主張であることは明らかですよね。「男性の性的視線(=まなざし)が女性に抑圧を与えている」という言い分はフェミニズムの主張そのものなのですから。
上野千鶴子を規制反対派として評価する人もいますが、あくまで二次元で完結してるオタクはオラオラ系みたいな男よりはマシ、と言ってる程度のことなんですよね。いえ、その程度の評価すらなかなかフェミニストから得られないのが現状なのですが。二次元ポルノの自由を認めてもらった程度のことで話がわかる人のように評価してしまうのはそれだけオタクの自己評価が低いということでもあるので、彼等のこともなかなか責めにくいのですが、そろそろフェミニズムと共闘できるなどという夢を見るのはやめた方がいいように思います。
ホントそうです。
彼らリベラル君たちは「真のフェミニスト」はそうではないと強弁するのですが、彼らこそが、この世で誰よりもフェミニストを貶めている存在でしょう。
まあもっとも、オタク界にいるフェミニストは彼らと口裏をあわせる傾向が強く、彼らの言は必然的に「オタクに媚びる、作家や学者などの社会的地位のあるフェミニスト」が「真のフェミニスト」であり、「ツイッターなどでそうした後ろ盾がないが故に自分たちに媚びないフェミニスト」が「似非フェミニスト」だというリクツになってしまい。これって本当に単なる弱い者いじめなんですよね。
まあ、弱い者をいじめることがリベラル君の目的である、と仮定すれば辻褄のあう話ですが……。
>二次元ポルノの自由を認めてもらった程度のことで話がわかる人のように評価してしまうのはそれだけオタクの自己評価が低いということでもあるので、彼等のこともなかなか責めにくいのですが、そろそろフェミニズムと共闘できるなどという夢を見るのはやめた方がいいように思います。
そうですね。その辺の自己評価の低さを利用されていますね。
ぼくが「リベラル君」と呼んでいるような人たちの中には「昔はオタクを見下していたが、今は運動のためにオタクの代表者ヅラをしている」といった人物もいます。
その意味で、彼らは本当にフェミニストと同じ、事大主義者です。