西欧古代における自由は、古くはギリシャ語のeleutheria(エレウテリアー)、およびラテン語のlibertas(リーベルタース)を挙げることができます。
古代ギリシャ語のeleutheriaは民主制と結びついており、プラトン(BC427頃~BC347)やアリストテレス(BC384~BC322)が論じています。また、他者を奴隷として所有することが許されている人は、自由人と呼ばれていました。自由な人とは、奴隷ないしは隷属状態にある人々と対比される概念です。
ラテン語のlibertasも、ギリシャ語におけるeleutheriaと同じく、民主制における国民の特徴や奴隷と比したときの自由人の身分として論じられています。この古代ローマの自由については、キケロ(BC106~BC43)が論じています。
プラトンの自由
西欧における「自由」を考える上で、プラトンの『国家』を外すことはできません。
『国家』においては、民主制国家では自由が支配しており、言論の自由が行き渡り、思い通りの行為が放任されていると語られています。そこでは大衆に好意をもっていると言いさえすれば、それだけで尊敬されるお国柄だというのです。
その民主制国家における個人は、欲望を満足させながら日々を送ります。秩序や必然性はありませんが、それを快く自由で幸福な生活と呼んで、一生涯この生き方を守り続けるというのです。そして、この自由が民主制を崩壊させる可能性が示唆されるのです。
自由の渇望は、指導者への非難や迫害につながります。少しの抑圧に我慢がならなくなり、法律さえも省みなくなる可能性が指摘されます。自由放任が、民主制を隷属化させるというのです。何事もあまりに度が過ぎると、反動として、反対の方向への大きな変化を引き起しがちだからです。
過度の自由は、個人においても国家においても、ただ過度の隷属状態へと変化する以外に途はないと考えられているのです。最高度の自由からは、最も野蛮な最高度の隷属が生まれてくるというわけです。そのため独裁制が、民衆指導者を根として芽生えてくることになるのです。
アリストテレスの自由
アリストテレスの『政治学』には、民主制の徴(しるし)は自由であると説明されています。また、民衆は平等を求めます。そのため、民主制は自由と平等という価値観に基づいた制度だと考えられています。そのため、平等による等しさの権威と、自由による好むことを為すことに葛藤が生まれることになります。
アリストテレスは、各人が欲するまま生活することをよろしくないと述べています。大衆にとっては節度のある生活よりも無秩序な生活の方が楽しいものだと述べた上で、彼は最善の生活は、外的善を備えた徳と結びついたものだと語るのです。
キケロの自由
キケロの『国家について』では、自由な国民が喜んで受け入れる法の公平自体は、維持することはできないと語られています。なぜなら、人物や身分についての大きな区別が存在するからです。名誉が、国民全体における最高の者と最低の者に等しいとみなされるなら、公正そのものはもっとも不公平なものになってしまうからです。
また、奴隷ではないことが自由であると説明されています。王や貴族が奴隷となれば、すべての者は自由を失うというわけです。
キケロは、指導者の大きな権力から彼らの破滅が生じるように、自由そのものが自由な国民を隷属に陥れることを指摘しています。なぜなら、すべて極端なものは、あまりにもうまくいったとき、たいてい反対のものに変わると考えられているからです。つまり、大きな自由から大きな隷属が、自由から僭主が生じるというのです。
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