野々村竜太郎バッシングの陰に潜むもの
- 2014/7/25
- 社会
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「高齢者問題は、わが県のみ…ウゥアアア…わが県のみなら…ウアアア…わが県のみならず、西宮…日本人の問題じゃないですか!」
海外でフルスロットル謝罪と紹介されYoutubeでは200万回の動画再生がなされ、日本で作成されたコラージュ画像まで海外で紹介されている野々村議員、STAP細胞の小保方氏に次いで見事に日本の恥として全世界中にさらされてしまったわけですが、今回はこの野々村議員の一連の事件について少し感想を書いてみようかと思います。
野々村竜太郎の罪は、何に対する、如何程の罪か
まず第一に書いておきたいことは、これほど話題になった割には、その経費の使い込み額はそれほどの大金でもないということ(少なくとも現時点で発覚している額としてはですが)。「過去3年間に領収書ゼロで政務活動費を申請し、計345回(約800万円)の出張。」とあります。もちろん、詳細は今後の調査で明らかになるでしょうが、政務活動費自体は年間500万円まで認められていることも考慮するなら、用途の不明性、領収書ゼロであること。虚偽申請である可能性が極めて高いこと等の問題はありますが、まあよくある地方議員の不祥事という程度の事件であるとも考えられます。
ちなみに、全世界で報道されているこのニュースですが、中国版ツイッター・微博(ウェイボー)この事件に関するもっとも多い反応としては「たった300万円でガタガタ言うな」という意見だったそうです。
中国も唖然? 兵庫県議の「号泣会見」に・・・「日本の政治は清廉だな」=中国版ツイッター
もっとも多く見られた声は、「たった300万円でガタガタ言うな」という意見で、「中国だったら1億円は私的に使えるぞ」、「たったの300万円で泣くな」といったコメントが多く寄せられていた。中国における汚職の深刻さを暗に批判する声とも受け取れる。また、「日本は政治の清廉さにおいて中国に完勝だ」と、中国における汚職の深刻さを嘆く声も見られた。
もちろん、日本と中国とでは全く事情が違うということはありますが、「300万くらいでガタガタ抜かすな!!」というような意見が大勢を占める中国人の方が、連日大騒ぎで「ほかの県議も悪いことをしてるに違いない!!全員調べて処罰しろ!!」と過剰な程ヒステリックに叫ぶ一部の日本人より少々大人であるようにも思えます。
なんというか、私自身個人的には、こういったスキャンダルに次から次へと飛びついていく日本人の気質があまり好きではないのです。小保方氏の事件も、塩村議員の事件も結局一定期間バッシングを続けた後、彼女たちの問題について真剣に検討することもなく、次に何か話題になる問題が出てくるとすぐにそちらに飛びついてまたヒステリックにバッシングを行っているなという印象を受けました。一体、このような行動姿勢が生産的であるのでしょうか?パソナの問題は?渡辺喜美の8億円問題は?こういった問題についても結局「こんなに不正にお金をもらって、やっぱり彼ら政治家はけしからん!!」と一時的な発作のように憤慨してみせて、次に問題を起こした人間が出てきたら、また同じように憤ってみせる。それで何か現状は改善するのでしょうか?
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2コメント
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野々村竜太郎バッシングの陰に潜むものは笑いだと思いますよ。
大東亜戦争についても、戦争に負けただけで、戦前の日本を、戦後の日本はさんざん貶めてきました。
その時から筋金いりです。
最近は愛国に目覚めた人が、中韓を叩き日本は素晴らしいと言ってますが、世界中の誰がみても阿呆な国を叩かなければ、自国が素晴らしいとしか思えない連中が増えてきてるように思え、辟易します。
少しは自己をみつめて欲しいものです。
野々村は…キャラクターが面白すぎて話題になったんでしょ。
でも、塩村は正真正銘のゲスだし、被害者ぶってる態度も最悪だからまだ叩き足りないと思う。
「笑い」は分析された方がよろしいかと。お勧めはアンリ=ベルグソン『笑い』、桂枝雀です。
上記コメントは私牧之瀬です。
野々村さんを本気でバッシングしてる人ってそんないるのかな?本気でバッシングするのはサブいと思うんだけどな。あれは不正叩きとか東電バッシングとかとは別次元の話だと思う。
あれが普通の謝罪会見なら三面記事にちょこっと載ってそのまま流れて終わりです。野々村さんだったからこそあの謝罪ムーブメントを巻き起こしたのですよ!ある意味神レベルです、彼は!
まったく、大きな悪には立ち向かえず糾弾できず差し障りのない小物だけを叩いて喜んでいるマスゴミと愚民には辟易する。
野々村議員に対するバッシングは、あの会見がなければここまで過熱する事はなかったのではないかと感じます。
意地の悪い言い方をするならば、『良いカモ』だったんでしょうね。自分自身の正義感に酔って高揚感を得るだけではなく、多分にガス抜きの役割を果たしていたのではないでしょうか。