新自由主義者にとっての国益とは何か?

また、安倍首相を批判する保守派の人々に対して浴びせられる批判の一つが
「じゃあ他に誰ならいいんだ?!」
「民主党よりは遥かにマシだろ!」
というものですが、私自身はこれらの主張は安倍首相への批判に対する反論としては全く成り立たないものだと思っています。これらの批判は非常に下品な喩えになってしまいますが、いわば小学生が
「ウ○コ食うよりマシだろ?だからこの俺のほじりたての鼻くそ食えよ!!この鼻くそ以外に何か食うものでもあるのかよ?!」
と言っているのと同じくらいに下らないものだと感じるのです。

シッコ』等の作品を作った映画監督であるマイケルムーア(リベラル寄りの文化人)は、とある著作の中でアメリカの2大政党である民主党と共和党について、
「『お前をフ○ックしてやるぜ!!」と宣言してからフ○ックしてくるのが共和党で、黙って後ろから突然フ○ックしてくるのが共和党だ』
と語っています。はっきり言ってしまえば、日本の自民党と民主党にも似たようなものであり、
「TPPに参加します!消費税も増税します!!」
と声高に宣言しながら、国民からの支持を失うのを恐れて二の足を踏んだのが民主党で、一方、黙って粛々とTPP交渉参加と消費税増税を決定したのが自民党だと言えるでしょう。民主党政権より安倍首相率いる自民党政権の方が政策実行能力があることは間違いありませんが、間違った政策を実行するための実行能力なら初めからない方がずっとマシです。

一部の保守派右派の人々は民主党の売国的な政治家や政策を批判する文脈で度々
「国益を考える政治家が政治をやれば(それだけで)日本は良くなる」
と語ってきました。しかし、
「国益を重視する!」
と声高に宣言していた民主党の野田佳彦や安倍首相も蓋を開けてみれば、この体たらくであるのが現実です。

なぜ、このように国益を考える(と少なくとも宣言している)政治家が政治を行っても上手くいかない理由は、一つには、国益を考えることなど日本の政治家である以上あまりにも当然であり、それは良い政治を行うための必要条件ではあっても、十分条件ではありえないということであり、もう一つには、一口に国益といって、その意味はどのような観点から国益を考えるかによって違ってくるのだということです。

官僚で元京都大学准教授であった中野剛志先生は
「どのような立場から見るかによって国益ってものは変わってきて、農業従事者からすると米の関税が守られることが国益だが、市場原理を重要視する新自由主義的な経済学者からすると関税は全て撤廃されることが国益だ」
という事を言っていましたが、果たしてニューヨークでの演説(ニューヨーク証券取引所 安倍内閣総理大臣スピーチ | 首相官邸ホームページ)で
「もはや国境や国籍にこだわる時代は過ぎ去りました」
と声高に宣言する安倍首相にとっての国益とは果たしてどちららのでしょうか?(ところで、この演説で安倍首相は日本人野球選手のイチローの活躍を引き合いに出していますが、本当に国境や国籍にこだわる時代が過ぎ去ったのであれば、ここでイチローを持ち出す必要性はなかったのではないでしょうか?)

結局のところ、このような「もはや国境や国籍にこだわる時代は過ぎ去りました」といった発言や、あらゆる関税や非関税障壁を撤廃しようとするTPPへの参加表明というものは安倍首相の方針を非常に端的に表しているのです。

新自由主義者にとり、国境や関税は市場原理主義を阻む壁

市場原理を徹底的に追求しようとする新自由主義者達にとって、国境や関税の壁とは市場原理主義の実現を阻む障壁のうち最たるものの一つです。

例えば、アメリカの広大な農地を使って、日本で作るよりもはるかに安くて美味しくて安全なお米が作れるとします。そのような場合であっても、日本の国境や国籍にこだわるのであれば、日本の農家や、日本の地方の田園風景を守るためにも関税を設けて出来る限り日本で作った国産品のお米を優先的に食べることは国益に叶うことでありますが、国境や国籍にこだわらないのであれば、アメリカで安くて美味しくて安全なお米を関税でシャットダウンした上で、国産品のお米を優遇することは、まさに市場原理を働かせなくする悪しき規制に過ぎなくなってしまうのです。

このように考えると、もしかしたら安倍首相の考える日本の国益とは、保守派の多くの人々が考える国益とは違ったものなのではないかと思えてこないでしょうか?

もちろん、売国的な政治家の巣窟であった民主党政権時代の3年間の悪夢を経験し、国益を堂々と主張する政治家を待望していた保守派の人々が海外でも勇ましく国益について語る安倍首相を見て応援したくなる気持ちは分からなくはありません。

しかし、現実に私たちの期待をいくつか裏切ってしまっているという現実を目の前にしたならば、
「もしかしたら、安倍首相の考える国益は、私たちの考えている国益とは全く違うものなのではないか?」
という懐疑的な視点を持つこともやはり必要なのではないでしょうか?

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西部邁

高木克俊

高木克俊会社員

投稿者プロフィール

1987年生。神奈川県出身。家業である流通会社で会社員をしながら、ブログ「超個人的美学2~このブログは「超個人的美学と題するブログ」ではありません」を運営し、政治・経済について、積極的な発信を行っている。

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