近代的な価値観であるデモクラシー(民主主義、民衆政治)について検討するために、ここでは古代ギリシャの哲学者プラトン(Plato, B.C.427?~347?)とアリストテレス(Aristotle、B.C.384~322)の著作を参照していきます。
プラトンの『国家』
プラトン(BC427頃~BC347)は、古代ギリシャの哲学者です。ソクラテスの弟子で、アテナイ郊外に学園アカデメイアを創設しました。プラトンの『国家』は、西欧哲学史においても、西欧政治学においても、外すことのできない最重要文献の一つです。そこでは、哲学者たちが王となって統治すべきという、いわゆる哲人王の宣言が出てきます。プラトンは、政治的権力と哲学的精神とが一体化すべきだと考えているのです。
では、プラトンの考える哲学者とは何者かというと、真実を観ることを愛する人だと定義されています。哲学者は、つねに恒常普遍のあり方を保つものに触れることのできる人々だというのです。ここでいう真実や恒常普遍のあり方という観点から、有名なイデア論が出てきます。知的世界には善の実相「イデア」があり、それは、すべて正しく美しいものを生み出す原因であるというのです。
プラトンが主張しているように、政治と哲学の一体化の程度については考えてみるべきです。ですが、善のイデアを観るなどということは、やはり、いかがわしいと言わざるをえません。プラトンの哲人王の政治は、プラトンの意見そのままに肯定することはできません。
ですから、哲学的精神を別様に解釈すべきなのかもしれません。哲学史における諸々の見解を学んだ者が政治を行うということは、危険性もありますが、基本的には有益なことだと考えられるからです。
プラトンの国制
プラトンは、国家の形態を次の五つに分類しています。
(1)優秀者支配制
・政治的権力と哲学的精神とが一体化した哲人王の政治。
(2)名誉支配制
・当時のクレタやスパルタふうの国制が想定されている。
・多くの人々から賞讃されている。
(3)寡頭制
・財産の評価にもとづく国制。
・金持ちが支配し多くの悪をはらむ。
(4)民主制
・等しい者にも等しくない者にも同じように一種の平等を与える国制。
・寡頭制の敵対者であり、それにつづいて生じてくる。
(5)僭主独裁制
・国家の病として最たるもの。
プラトンの民主制批判
国制に対する見解について特に注目すべきは、民主制に対する批判でしょう。
プラトンは、民主制国家が善と規定するところのものを自由だと考えています。自由であるが故に、先生は生徒のご機嫌をうかがい、生徒は先生を軽蔑するようになるというのです。若者は年長者と対等に振る舞い、年長者は若者に気をつかうようになるというのです。
そのため国民は、ちょっとの抑圧にも我慢ができなくなり、書かれた法であれ書かれざる法であれ、かえりみないようになると語られています。
過度の自由は、個人においても国家においても、ただ過度の隷属状態へと変化する以外に途はないとプラトンは考えているのです。最高度の自由からは、最も野蛮な最高度の隷属が生まれてくるというわけです。
さらにプラトンは、民衆の慣わしとして、民主制が独裁者を生んでしまうことを指摘しています。民衆が誰か一人の人間を特別に自分たちの先頭に立てて、その人間を養い育てて大きく成長させ、僭主(独裁制)が民衆指導者を根として芽生えてくるというのです。
プラトンから学ぶべきこと
プラトンの民主制に対する批判は傾聴に値します。民主制を礼讃する世の中においても、プラトンの批判に適切な反論が為された上で、その制度が肯定されているわけではなさそうなのです。プラトンの哲人王への有効な批判はなされても、プラトンの民主制批判への反論として、有効な意見は提示されていません。提示されないまま、民主制が肯定されるという、異常な事態が起こっているのです。この点に関しては、よく注意しておくことをお勧めします。
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