ドクター非モテの非モテ教室(その一)
- 2014/12/23
- 文化
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何だか「ネトウヨ」みたいなモンらしいよ
???:う~ん、それはどうかしら……。
博士:な……何じゃ、今のは……?
助手:い……今のはぼくの「毒舌な妹bot」というヤツで、140字以内でいろいろツッコミを入れてくるんですよ……。
妹:今のお兄ちゃんの指摘は、極めて重要ね。今時の「ミソジニー批判」はまず、「その主が弱者男性」という前提に立ち、それを嘲笑することで成り立っている。それは丁度、いわゆる「ネトウヨ」を低学歴だ、底辺だ、オタクだと罵るスタイルの「反ヘイトスピーチ」同様に。一歩引いてみれば、どっちがヘイトスピーカーかわからない、という笑えない事態が、そこでは進行しているわ。
博士:じ……事実なのだから、仕方なかろう! 自分が弱い立場にいることに居直り、更に弱い立場にいる女性をいじめることが卑劣で許せぬ、ワシはそう言っておるだけじゃ!!
妹:フェミニストや、それに同調する人たちもよくそう言うわよね、「真のワルモノは強い立場の男性なのだから、そこを批判せよ」と。でも、ならばまず、自分たちこそ弱者男性ばかりを批判するのをやめるべきじゃないかしら?
博士:バカな! 弱者男性と言えど、女性に比べれば下駄を履かせてもらっておるのじゃ、女性を批判するなど笑止千万じゃ!
妹:そうかしらね。一億歩譲ってその前提が正しいとしても、批判が許されないことにはならないわ。
「ホモソーシャルな心理」、「ミソジニーという感情」そのものが許されないとする昨今のフェミニズムのやり方こそ、許されたものじゃないんじゃないかしら?
助手:そうそう! こっちの発言が不当だ、というのならわかるよ。でも、女性への批判を「ミソジニー」と読み替えてそれがケシカランって、まるで大昔のSFに出て来た、コンピュータが人間の感情を圧殺して支配する、未来の管理社会みたいじゃないか!
博士:……………。
妹:フェミニストは均等法に象徴されるように、社会の仕組みをいじることを終えて、それでも自分たちの理想が達成されないことに焦れ、「ジェンダーフリー」に代表されるように、人の心をいじり始めた――そして、結果的に弱者男性ばかりをターゲットに選ぶようになった。非常に皮肉な話ね。
博士:はあ? どういう意味じゃ?
妹:「ミソジニー」とか「ホモソーシャル」といった概念を持ち出すことであなたたちがゲットしようとしているのは、弱者男性の最後のリソース。お兄ちゃんみたいな非モテ男性たちの、「アパートの冷蔵庫に残った最後の食べ物である、タクアンのシッポのひとかけら」――そういうことよ。
博士:……???
助手:あ……あのー、別に俺もそこまで食い詰めてるわけじゃないんだけど……。
妹:これはあくまで比喩よ。そして、この比喩を体現したキャラクターが、現代の日本にはいるわ――。
助手:……って、誰?
コメント
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連載始まってたんですね、こちらでは初めてコメントします。
ここ最近はツイッターなどを見ていると、以前に比べて随分幅広い層からフェミニズムへの批判が寄せられるようになった印象があります。
しかしフェミニズム側の認識はそうではないようで、以前ある人が「最近は非モテ男がマッチョに偽装してフェミを叩くようになった」などと言っているのを見て苦笑してしまいました。
普通に考えて、それはマッチョ層にもフェミニズムの問題点が目につくようになったということだと思うんですが、フェミニズム批判はどうしても「非モテ弱者男性」の仕業ということにしないと都合が悪いのでしょうね。
強者男性ならフェミニズムに寛容、なんておよそあり得ないことだと思うのですが。
伊集院氏がフェミニズムの標的にされない理由は、「非モテ論客」とは思われていないからかな…と漠然と思っているのですが、本当のところはわかりません。次回も楽しみにしています。
おお、コメントありがとうございます!!
>「最近は非モテ男がマッチョに偽装してフェミを叩くようになった」
う~む、何を根拠にそんなことを言ってるんでしょうね。
彼女らは弱者男性を罵倒しつつ、そうした人々の心理に「マチズモ」を見出すのが大好きな気がします。
「仮に弱者でも精神的にはマッチョだから叩いてもいいのだ」というリクツなのか、純粋に「弱者の癖に」と嘲笑したいのか。
>強者男性ならフェミニズムに寛容、なんておよそあり得ないことだと思うのですが。
彼女らの周囲には、「本当に強者であるが故に、その余裕で女性のフェミニズムも調子をあわせて上げる」といった層しかいないでしょうし、むしろ「強者は私たちに寛容だ」と勘違いしてしまっているのかも知れません。
もしよろしければまたコメントください。
>彼女らは弱者男性を罵倒しつつ、そうした人々の心理に「マチズモ」を見出すのが大好きな気がします。
「弱者男性はマチズモを内面化しているから本当の敵である強者男性を叩かずにフェミニズムを叩くのだ」といったものですね。
しかし男なのに弱者を自称している時点でマッチョ規範からは外れていますし、むしろフェミニズムを擁護する男性の側にこそマチズモを見出すことができるように思います。
フェミニズムを擁護する男はしばしば「チンポ騎士団」などと揶揄されたりしますが、これは一見リベラルな態度を取っていながら結局女性を守って格好つけたいだけ、という点を見透かされているからではないかと思います。
そして実はフェミニストもそうした男達に守られたいという願望があり、だからこそ自分達を守ってくれないどころか批判してくる弱者男性が気に食わない、ということもあるのでしょう。
フェミニストも結局マッチョ男が好きなんじゃないか、などと言われることがありますが(実際には内面がマッチョで表面的にはリベラルに振舞う男でしょうが)、弱者男性を主なターゲットとしているフェミニスト達の振る舞いがそれを実際に証明してしまっている気がします。
>しかし男なのに弱者を自称している時点でマッチョ規範からは外れていますし、むしろフェミニズムを擁護する男性の側にこそマチズモを見出すことができるように思います。
フェミニズムにとっては「男性は一枚岩で悪者でなければならない」からこそ、「弱者男性」という存在が許せないのでしょうね。
>そして実はフェミニストもそうした男達に守られたいという願望があり、だからこそ自分達を守ってくれないどころか批判してくる弱者男性が気に食わない、ということもあるのでしょう。
恐らくそうだと思います。
二十年ほど前、上野千鶴子師匠などが論壇氏などで盛んに書いていた頃、彼女は「保守オヤジ」「反動オヤジ」といった罵声を好んで使っていました。
これなど男性がまだ権力を持っていた時代の光景だな、との感じがします。
「権力を持ったオヤジに、怪獣ごっこの怪獣役をやってもらっている」ことに、彼女はどこか喜んでいたようにすら、今にしてみれば思えます。
ひるがえって今のフェミニストたちの「弱者男性」への罵声は、本当に冷酷の一言です。