パブリックコメント制度は機能できない。その理由
- 2014/3/19
- 社会
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パブリックコメントに内在する決定的な脆弱性
当制度の実際の運用状況について考えてみます。
なお、筆者は行政へのアンケート等により運用状況調査を行ったわけではなく、筆者自身による国及び数か所の自治体における当制度に関するホームページの閲覧等からの推測によることを断っておきます。
最初に、実際の意見提出の状況はどのようなものでしょうか。
おそらく、マスコミにおける対象事案に対する取り上げ方、あるいは報道頻度次第であると考えます。逆に言うと、マスコミ等において取り上げられない事案に関しては、国民生活への影響が大きいものであっても、提出意見なしの場合も多々あるものと推測します。
次に、意見提出を受けた行政側においては、どの程度それらの意見を考慮し、政策等に反映しているのでしょうか。
これに関しては、ほとんど考慮、反映されていないと推測します。と言いますか、考慮、反映できない、あるいはその必要性もないといった方が適切かもしれません。
意見提出を受けた行政は、すべての意見に目を通し類型化した上で整理し、件数統計や意見に対する考えを作成公表します。そして多数意見、あるいは的確と考えられる意見を反映させるなど変更修正を行うことが想定されているのですが、そのようなことは次のような理由からほぼ不可能、あり得ないと考えます。
まずは、原案であるA案に対して、肯定意見、アンチA、あるいは対案Bが提出された場合を想定してみましょう。
制度の趣旨からすると、行政はA案とアンチA、あるいは対案Bをアウフヘーベン(止揚)し、C案を作り出さなければいけないのですが、対案BがA案に近いものであるならばともかくも、対案BがA案の正反対であれば、アウフヘーベンという哲学的思索とは縁遠い行政事務として遂行されるわけですから、不可能に近いと推測します。
また、圧倒的にアンチA、あるいは対案Bが多ければどうなるのでしょうか。
もし、このような結果になれば、A案という原案を廃案(あるいは対案Bに変更)にすることは十分あり得ると推測します。しかしながら、現在の行政機関は、世論というものを過剰なまでに意識して各種計画や法を立案していますので、このような状況になることはまずあり得ないものと考えます。
さらに言うと、原案策定過程では、数々のオプションや予測される反対意見に関して、行政等の内部で十分な議論を行った上で成案としていますので、たとえ多様な、また高度な反対意見が提出されようとも、論理的に跳ね返すバックグラウンドがあるものと推測します。
つまるところ、100%とは言いませんが、当制度を活用し意見提出を行っても無駄なのであり、当制度自体無意味なのです(原案の骨子に大きな影響を及ぼさない程度の文言の加筆修正等については、適宜行われていますが)。
しかしながら、民主政に対する正しい理解が国民に浸透しない限り、当制度が廃止されることはないでしょう。
そして、先述のような運用状況で止まるのであれば、行政が無駄な経費や労力を費やす程度の害悪で済むのでしょうが、今後の方向性としては、もっと広く知らしめよ、そして実効性を担保せよ、との民意礼賛主義者からの声が大きくなり、制度はより補強、改悪、さらには、マスコミによって感情的に突き動かされた民意が、より反映されるような新たな制度が創設されていくものと思われます。
最後に、哲学者である適菜収氏の言葉を紹介しておきます。
「われわれに残されている「近代未完のプロジェクト」は、民主主義を廃棄し、議会主義と寛容の精神を守り抜くことではないでしょうか。」(出典:『ゲーテの警告 日本を滅ぼす「B層」の正体』)。
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コメント
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パブリックコメント、全く効果がないとは思えません。自治体HPへ意見したことがありますが、HPなどに掲載されます。しかし、意見が集中するため、確実に反映されるかは怪しいです。一方、国の機関や自治体へのメールでの個別の問い合わせには、きちんと回答をいただき反映もされています。民間の公共交通事業者に対する指導をお願いしたことがあります。上位機関に訴えると効果大です。
個別意見が反映されやすくなるパブリックコメントのシステム構築が必要かと思います。