女装保守の誕生
- 2014/11/25
- 文化, 社会
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脚光を浴びる女装文化
いま、女装が熱い!
…すみません、初めての寄稿なので緊張して、つい月並みな書き出しで初めてしまいました(笑)。
さて、皆さんは「女装」と聞いて、一体どのようなイメージを思い浮かべるでしょうか。
ご年配の方であれば、残念ながらあまり良いイメージは持たれないかと思います。かつて女装という趣味はどうしても、変質者のやること、真っ当な社会人がやるべきでないこと―そう思われてきたからです。
しかし、今や21世紀。時代は大きく変わりました。女装は現代日本社会において、いよいよ市民権を獲得しつつあるのです。
高校などの学園祭では女装コンクールがごく普通に開催されるようになりましたし、巷では女性用の衣服の貸し出しやメイクなどを行ってくれる「女装サロン」と呼ばれる店舗が人気を博しています。
テレビの世界でも女装者の活躍が目立ちますね。とくに女装コラムニスト、マツコ・デラックスさんの人気ぶりには目を見張るものがあり、テレビで「彼女」の姿を見かけない日はないほどです。
サブカルチャーの世界もまた然り。少年でありながら外見、内面ともに少女にしかみえない「男の娘」(おとこのこ)と呼ばれるキャラクター類型は、もはやサブカルチャーにおける一つのジャンルとして確立された感があります。
女装は異常者のすること―このような認識は、もはや前世紀の遺物として葬られつつあるのです。
「私は女の子になりたい」
さて、ここで私が何者なのか読者の皆さまにもよく知っていただけるよう、私の個人的な経験について書くことをお許しください。
私には子供の頃から「女の子になりたい」という願望がありました。家族が留守のときを見計らっては、妹の制服をこっそりと着用し、鏡の前でスカートをはいた自分の姿を眺めてはウットリしたものです。初めてブラジャーを着用したときの心臓の鼓動も、口紅を塗ったときの興奮も、昨日のことのようによく覚えています。
やがて成人した私は、前述した「女装サロン」と呼ばれる店舗に通うようになりました。そこで女物の衣服を借り、ウィッグをつけ、プロのメイクさんにお化粧してもらうことで、本格的な女装を楽しむようになったのです。
女装サロンでは、客はたとえ身体的には男性であっても、完全に女性として扱われます。私などは、店員さんに「お姉さん!」と声をかけられ、感激のあまり頬が真っ赤に染まったものです。女装サロンという極めて特殊な環境とはいえ、社会から初めて「女性」として扱ってもらえたという経験は、私にとって格別のものとなりました。
女装サロンではいったん女装してしまえば、そこから先は何をやっても自由です。春、秋は気候が穏やかで外出に適しているので、よく女装姿で外出しました。女装サロンからそう遠くない位置に靖国神社があったので、女装姿で靖国を参拝したこともあります。
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2コメント
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記事の方、精読させて頂きました。
私は保守からのジェンダーフリーを提唱するものです。
この記事の内容にとても共感します。
得てして、保守系の男女共同参画やジェンダフリーに対する嫌悪・憎悪というものを問題視しております。
保守的な男女観や価値観というものを私は否定する立場ではありませんが、男女観や価値観やそれに伴う人生観についてはもっと寛容でセクシャルマイノリティの受け皿も必要であると考えるものであります。
古澤さんが、セクシャルマイノリティの受け皿として保守としてご活躍することを心より願っています。
私もライブハウスでどぎつい化粧をしてロックを演奏するV系ロックドラマーです。
私もセクシャルマイノリティの理解者、受け皿としての保守を目指していきたいと思います。
参照
私の幼稚なブログにて保守的ジェンダーフリー三部作を上げております。
宜しければご一読くださいませ。
「保守からのジェンダーフリー①」 http://d.hatena.ne.jp/sin_dragon1971/20141125/1416922268
「保守からのジェンダーフリー②」 http://d.hatena.ne.jp/sin_dragon1971/20141125/1416923325
「保守からのジェンダーフリー③」 http://d.hatena.ne.jp/sin_dragon1971/20141125/1416924234
木島伸一拝
「ジェンダーフリー」というのは、
あらゆる面で厳然として存在する性による違いをなくす、すなわち「ぶっ壊す」ことであり、
それが可能かどうかはさておき、とても保守的態度とは思えません。
明らかに不当な扱いが認められるからそれを是正する、なら話は別ですが、
それならば「フリー」とは言えません。
「保守からのジェンダーフリー」などありえないのです。
リベラル派、より正確にはフリーダム派を自称されたほうがよろしいでしょう。