日本人だけが知らない天才、任天堂・岩田聡社長の功績
- 2015/7/28
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岩田聡(いわた さとる)さんは、1959年12月6日生まれ。北海道札幌市出身。
岩田さんのお父さんの岩田弘志さんは、1979年(岩田社長がまだ20歳の頃)から1995年まで4期に渡って室蘭市長を務め、その後、北海道庁商工観光部部長なども歴任され、勲三等瑞宝章も受賞された優秀な政治家だった。
岩田さんのお父さんが市長になった当時の室蘭市は、60億円もの不良債務を抱え、財政再建団体へ転落寸前だったが、行財政改革を実施し、見事、財政健全化に成功。
鉄工業市として室蘭を有名にしたのも、お父さんの功績と言われている。
なお、お父さんは、2008年、83歳で亡くなられた。
そんなお父さんを持つ岩田さんは、1976年、札幌南高等学校に通っていた高校生時代、ヒューレット・パッカード社の電子計算機「HP-65」の存在を知り、アルバイトをして貯めた資金と親の援助でこれを購入。
独学でマスターしたプログラミングで開発したゲームをヒューレット・パッカード社に送ったところ、あまりの完成度から
「札幌にとんでもない高校生がいる」
と評判になり、機材などをプレゼントして貰ったと言う。
高校卒業後は東京工業大学に進学。工学部情報工学科専攻。
大学1年時の1979年、入学祝いに加えローンを組んでマイコン(1977年にコモドール社が発売した世界初のホーム/パーソナルコンピュータ「PET 2001」、当時はパソコンではなくマイコンと呼んでいた)を購入。
この「PET 2001」で、後のプログラマ人生の下地となる本格的なプログラミングを学びはじめる。
大学在学中、西武百貨店池袋本店のマイコンコーナーの常連客だった岩田さんは、そのマイコンコーナーの店員らが、1980年に立ち上げた
「株式会社HAL研究所」(通称ハル研)
にアルバイトとして参加。
社名の「HAL」は、当時最大のコンピュータ企業だった「IBM」のアルファベットを1文字ずつ前にずらしたもので、
「IBMの一歩先を行く」
という意味から名付けられたもの。
ハル研でプログラミングに熱中した岩田さんは、大学卒業後、そのままプログラマとしてハル研に就職。
この頃のハル研は、社員たった5名の零細ベンチャー企業で、岩田さんはプログラミングの他、デザイン、販売、スタジオの掃除まで何でもやっていたという。
また、東工大まで出たのに、なんだかよく分からない零細ベンチャー企業に就職した息子さんに対して、当時、室蘭市長だった岩田さんのお父さんは猛烈に反対し、入社から半年はまったく口をきかなかったという。
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