産経新聞社からの回答書について論理的に考える
- 2014/7/15
- 社会
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愚劣なのか卑劣なのか
仮に私が産経新聞の上層部に属していて、この件で狡猾に対応するなら、次のような文章で回答していたでしょう。
執筆した記者に確認したところ、「日本人が加害者にもなり得る」という論点は、加害者にもなり得るから移民国家化は危険だという考えで取り上げたものと判明しました。しかし、関岡氏の指摘のとおり、移民推進派に利用される可能性のあるものと受け取られてもいたしかたありません。こちらの不注意であり、まことに申し訳ありません。本件のようなことが起きないように社内教育を徹底いたしますので、どうか今後ともよろしくお願いいたします。
※ この文章は、私ならこう回答するという例であり、正論・産経の見解ではありません。
つまり、「悪意はなく、あくまでも不注意だった」ということに持っていくことが産経新聞および「正論」の被害を最小限に抑える賢い方法だったということです。
しかし、公開された回答文は、イベントの主張の方向性が変えられたことへの謝罪はなく、あくまでも編集権にのっとった行為だと言っているに過ぎません。そのため、この狡猾な対応方法もすでに使えなくなってしまったわけです。フジサンケイグループの上層部は、愚劣な人たちの集まりなのでしょうか?
そこで、もう一つの可能性が浮かびます。公表する回答文の危険性をすべて承知の上で、関岡さんの感情を利用することで問題の収束を図ったという可能性です。そうだとするなら、その卑劣な試みはある意味で成功しています。関岡さんを、〈断腸の思いのみ(連載第10回参照)〉という状態へと追い込んだわけですから。計算どおり、ニヤリ、といったところでしょうか?
しかし、そこには誤算があります。それは、ASREADには一匹の悪魔が住んでいたということです。関岡さんは〈人非人と誹られても甘受する〉と述べていますが、関岡さんをそのように思う人はいないでしょう。本物の人外とは、私のような人間の皮をかぶった悪魔を言うのです。
回答書に対する適切な戦略
まとめます。
産経新聞社の回答書から判断すれば、恣意的に論者の主張の方向性を変えてしまうことは、編集権によってニュース性の高いところを記事に盛り込むことで正当化できると考えていることが分かります。
今後の産経新聞および「正論」の報道では、情報操作の可能性を考慮しておくべきです。特に移民問題に関する報道については、今回の問題を含めた状況証拠から、何らかの情報操作をしている可能性が非常に高いと言えます。単に、論理的に考えれば、そのように考えざるをえないという話です。
そのため、「正論」編集長が仮に〈すべての責任を自分一人で背負い込もうという覚悟〉だったとしても、回答書の内容から判断して、それは論理的に不可能になります。道義的理論的に正しいことについて、〈一度こうと決めたら梃でも動かない〉のなら、それは立派な態度です。しかし、自身の名誉も「正論」の名誉も、そして産経新聞の名誉も貶めてしまうようなことなら、さっさと撤回することが立派な態度になるのです。
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