流行にも漫画にも従順なお利口さん
そういえば、本気ではないと願いたいですが昨今の年齢的には大人になっている人達が、やたらと「北斗の拳」がどうとか、「ドラゴンボール」がどうとかいう話をしている場面に出くわします。そんな話が鼓膜を揺らすと寒気がします。黙っていて欲しいです。隠れてやっていて欲しいです。私はこういう輩が私の幼いころのテレビ番組を見て育った連中だろうと踏んでいます。両親には大人の見る番組を見せてくれたこと、実家の裏山には子供番組の乗った電波を遮ってくれたことを感謝したいです。自分は人間界に入るのに苦労した質なので、元々人間界にいる人達を羨ましがっているのではないかと思うこともないではないですが、そういう漫画の話をする人間のつまらないところは、よせばいいのに私が冒険心から「どこが面白いの?」と尋ねると、「一回読んでみなよ、ぜっっっったいハマるから!」とキラキラした顔で空っぽの言葉を吐くところです。その顔が違う人間でも面白いほど似ている。ブロイラー的大量生産人間ではないかなと思っています。それで私がほんとうにわからないので「いや、その「ハマる」理由を説明してくれよ」というと、キラキラ友達とストーリーや台詞を互いに言い合うなどの「確認」をして、「そうそう!!」などと言っているだけなのです。飼い主に歯向かうことは彼らの頭のなかでは思いもよらないんでしょう。「考える」ということは「半分疑うこと」であると先人が仰っておられましたが、そういう意味では思考さえ漫画の中から出られていない。お利口なブロイラーです。ブロイラーのふりをしている間に、ブロイラーの思考が癖になってしまったのでしょう。そういう人と接するならまだその辺の道端に転がっている石なんか見たり触ったりしている方が私は面白い。得るものも多いのです。ああいう漫画を実際見ても登場人物が「はー」とか、「あー」とか言ってるだけで本当につまらない。そういう漫画をポップアートだというにしたって本筋があってのことですから、本筋があれだと胸を張られても困ります。私は一生懸命日本語をマスターしようと未だに努力していますが、ああいう手合には私の現在の技量では言葉が通じないことを実感し、「まだまだ頑張らなければ」と決意を新たにしている今日このごろです。
しかし正直に言うと、幼い頃から年令の違う他人と接することに抵抗がない私は、もっと言えば、現代だけが自分の時間ではないという考えを捨てきれない私は、わざわざ時間だけは要求するくせに面白くもない人達と付き合ったり、「ドラゴンボール」や村上春樹や浦和のネズミ王国の面白さをくどくど説明されて「やっぱりつまんねえな」と思うよりは、自分の興味の向いたことを勉強していって、その道の先人にまた教えを請うという方が性に合っているのです。それで時間はほとんどなくなります。漫画に限ったって杉浦茂や川崎ゆきおやいがらしみきおが、そのへんの跳躍とか日曜日とか、魂達とかいう雑誌に載っている漫画より私には合っています。植田まさしだっていい。漫画よりも人生のほうが面白い。たまに2ちゃんねるで「何この『人生』っていう(クリアするのがとうてい)無理(な)ゲー(ム)」という表記を見ますが、無理ゲーだからやる価値があります。その上私の尊敬する方々からは、箸の持ち方を直せとは言われますが、幸いドラゴンボールを観るべしなどと勧められたりすることもないので、そういうものが大好きな人達とは付き合わなくていいのかなと思っています。というわけできっとこの先も、同世代の方々と時代を共有したという実感、またはしたいという感情の持てないまま、人生を送っていくのでしょう。悲しいことですがもう仕様がないと諦めています。A層B層云々という分け方があると伺っていますが、私はおそらくZ会かなにかだと思います。
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