漫画思想【06】勇気ある者たち ―『ダイの大冒険』―

自分自身のための勇気

 本作のラスボスは、大魔王バーンという存在です。ダイたちは大魔王バーンに戦いを挑みますが、惨敗してしまいます。敗北後、人間たちは体制を立て直して再び大魔王へ挑もうとします。そのとき、ダイはみんなの期待から逃げ出してしまうのです。
 登場人物の一人は、その逃亡を、勇者という名の重みに気づいたからだと推測しています。戦いが恐ろしいからではなく、期待に応えられないかもしれない自分を恐れたからだというのです。
 ポップは逃げ出したダイを追いかけ、次のようにさとします。

戦いがおれをここまでにしてくれた! おまえや、マァムや、ヒュンケルたちとここまでやってこれた事はおれのたったひとつの誇りなんだ!! 今ここでやめちまったら、ちっぽけな勇気をふりしぼってここまでがんばってきた、おれの戦いの日々がすべてムダになってしまう!!! ダイ!!!おれたちは今まで、ずっと誰かのためにがんばってきたよなっ!! アバン先生の仇を討つために…!おれたちの家族の平和をとり戻すためにっ…!! でも、今ではもう、それだけが戦う理由じゃねえはずだ!! みんなのためだけじゃない! 自分自身のために、ここで戦いを投げちゃいけねえんだっ!!!

 ここで「自分自身のため」という言葉は、単なるわがままでないことは明らかでしょう。ダイやポップは、これまでに長く辛い戦いを続けてきました。それは自分のためではなく、自分以外の人たちのためのものでした。その先でみんなの期待が重くなり、その期待に応えられないことを恐れたとき、無理に他人のためだと思っても進む勇気は湧かないものなのかもしれません。
 そして、期待に応えられるかどうか分からないような状況でも、戦いにおもむくためには、そこに必要とされるものがあった、ということなのでしょう。ダイはポップの言葉を受け取り、再び戦うことを決意します。そして、ダイは皆へ次のように告げるのです。

……みんな。大魔王バーンは強い。聖母竜(マザードラゴン)は神よりも強いって言っていた。そんな奴を相手に戦って必ず勝てるなんておれには言えない。いや、やられてしまう可能性のほうが高いと思う…。……おれは、バーンよりも弱い。武器もない。でも、このまま力まかせに世界を踏みにじろうとするあいつを放っておくことはできないっ!! おれが誰にも負けないって、ハッキリ言えるのは、その気持ちだけだっ!!! ……そんなおれでも良かったら、みんなも力を貸してくれっ!!!

 そうしてダイたちは、自分たちよりも強大な敵との戦いへとおもむくのです。

それぞれの勇気

 さて、ここまで勇者という概念を軸にして、勇気について述べてきました。
 しかし、勇気は勇者という存在に限ったものではありません。勇気は、おそらくはあらゆる人たちにとって必要なものなのでしょう。それは、本作の勇者ではない脇役キャラクターにおいても同様です。
 例えば、本作にはアキームという脇役が出てきます。彼は、軍事国家ベンガーナ王国の戦車部隊の隊長です。自国の戦車部隊は世界最強の陸軍だと自負しており、「剣と魔法」モノにおけるアンチテーゼとしての役割を担った人物だと考えることもできます。
 要するに、剣や魔法を無力と見なし、兵器の優位性を誇る立場側の人間だということです。その自慢の兵器が無残にも敵に敗れ、そこに勇者の剣が敵をたたき伏せるという展開になり、読者には爽快感がもたらされることになるわけです。
 アキームというキャラクターは無口でとっつきにくいこともあり、子供のときに読んだときは嫌なやつだと感じたものです。しかし、大人になってから読み返してみると、まったく違った感想を抱くことになりました。
 敵の強大な巨人兵器が襲来したとき、彼は戦いの場へと駆けつけます。そのとき、ダイの仲間の一人であり、武人でもあるクロコダイルと会話を交わしています。

アキーム「出撃だッ!! 行くぞッ!!!」
クロコダイン「まっ…待てッ!! 行ってはいかんっ!!!」
アキーム「!!?」
クロコダイン「あれはただの岩石巨人ではないっ!! 鬼岩城といって魔王軍の総本山ともいうべき基地なのだ!!! いくらおまえたちが強力な武器を持っていても勝負にはならんっ!! ムダ死にするだけだっ!!!」
アキーム「………。国王陛下はベンガーナ軍の真価を見せよ、と言われた。勝敗はどうあれ我らは世界の先陣を切って戦う勇気を見せねばならんのだッ!!!」
クロコダイン「!!!」
アキーム「どいてくれッ!!!」
クロコダイン[心の声](…いけすかぬ男と思っていたがヤツもヤツなりの忠誠心を持っている…。なかなかの武人よ! 死なせたくはないっ!!!)

 この場面の描写は美事です。大人になると、ここで示されている勇気の本当の価値が分かってくるような気がします。滅亡の危機に瀕した人間たちの先頭に立って、力及ばずとも戦おうとする人間の気高さがここにはあるのです。
 勇者という存在は、選ばれた存在です。しかし、我々のほとんどはそんな特別な存在ではありません。にもかかわらず、勇気を必要とする場面に遭遇することはありえます。そんなとき、特別な能力も、特別な力も、特別な武器も無く、それでも戦わなければならないときがありえるのです。
 現実の世界には、勇者という都合の良い存在はいません。この世界を何とか支えているのは、彼のような職務に忠実で生真面目な人物の存在なのかもしれません。そして、そこに示される勇気に、我々は心動かされることになるのです。


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西部邁

木下元文

木下元文

投稿者プロフィール

1981年生。会社員。
立命館大学 情報システム学専攻(修士課程)卒業。
日本思想とか哲学とか好きです。ジャンルを問わず論じていきます。
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