正義と悪に二分された社会をサバイブするための手がかりとは 劇評:笑の内閣『ただしヤクザを除く』
- 2016/8/29
- 思想, 生活
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2年ぶりに東京公演を行った笑の内閣
撮影=松山隆行
2005年結成の京都の劇団・笑の内閣が、『ただしヤクザを除く』(作・演出=高間響)で2年ぶりの東京公演を行った。初めてこの集団に触れたのは、2013年に東京・北海道・京都ツアーを行った『ツレがウヨになりまして。』の再演。この作品は、ネット右翼へと傾斜するツレ=男とその彼女を軸に描く。国を憂うという名目で、他国やその人々へ差別的な言辞を垂れ流すネトウヨに目覚めた男。彼は同棲する彼女との関係をないがしろにして、ヘイトデモへ出かける。そんな男に対して彼女は、愛国心を言う前に私のことをしっかり見て考えてよ!と訴える。目の前にいる者も愛せない人間が、国を愛することなどできるはずがない。中途半端な愛国心を盾に暴走する、ネット住民への強烈な批評精神を私は感じた。続く2014年の『超天晴!福島旅行』では、福島県への修学旅行を認めるか否かで揺れる高校の教職員が描かれた。私は未見だが他に、東京都青少年の健全な育成に関する条例改正案をテーマにした『非実在少女のるてちゃん』(2010年初演)、ダンスホールなどの深夜営業を規制した風営法を取り上げた『65歳からの風営法』(2013年)などの作品がある。この2作は笑の内閣の名を東京にも知らしめた代表作であり、『65歳からの風営法』は永田町の星稜会館でも上演された。
題名から明らかなように、今作は暴力団と市民との関わりを描いた作品である(一部キャストを入れ替えてた桜、蓮、菊組の3バージョン上演。私は桜組を観劇)。市民社会からの暴力団排除を目的とする暴力団排除条例では、市民や企業が暴力団関係者と会食などの接触を持てば、警察から密接交際者と認定される。そして関係謝絶を促す勧告に従わなければ、氏名や企業名が公表され、銀行口座やクレジットカードが持てなくなるなどの不利益を被る。
平田組に所属する高間一家のフロント企業へ宅配を行っていたために、広島県警の稲川(丸山交通公園)からそのように釘を刺された、チェーン展開するピザ屋のエリアマネージャー(瓜坂勇朔)。今後は宅配拒否するように警察から言明されて、彼は店へ戻る。すると当の工務店の従業員・清水文太(髭だるマン)が、今日はテイクアウトで来店すると店舗従業員から知らされる。暴力団が身近に現れた時、どのように対応するべきなのか。排除される暴力団も同じ人間である。脅されて金銭や物品を与えるのではなく、きちんと代金をもらってピザを提供することも、反社会勢力への利益供与になるのか。こういったことが、従業員たちの葛藤と対立を伴って描かれる。すなわち、企業イメージの悪化を恐れて警察の意向に従おうとするエリアマネージャーと中年の男性アルバイト(松田裕一郎)。彼らに対立して、ピザを清水に提供する女性店長・芽衣子(しらとりまな)。中年女性アルバイト(森田祐利栄)は、両者の間を取り持とうと奮闘する。若手の男性アルバイト(山下ダニエル弘之)は信条である人権思想の観点から、暴力団にも人権が認められるべきという立場だ。意見は違えども、登場人物それぞれの言い分は皆筋が通っている。そのため、暴力団にどう対処すれば良いかの正解を判断することは難しい。法の正義と人間倫理を巡って、骨太な議論が戦わされる作品になっている。
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