無常における美しさ。
現象そのものが空虚である。
現象そのものが空白である。
現象そのものが本物である。
空において、形が顕在し、何かが潜在する。
その繰り返しそのものの構造が問われる。
顕在と潜在の関係により、中空が示される。
すなわち、空が中(あた)る。
そう見なされうる視点が成り立つ。
しかし、空の思想により、その視点もまた・・・。
空の思想において、
現実における不在が語られる。
そのとき、有と無が共に否定される。
ここに言葉の問題が加わる。
言葉の恣意性により、現実が浸食される。
現実性は、言葉によって保証されないのだから。
それゆえに、有と無とは異なる空の思想の語りがありえることになる。
存在と非存在を超えた語りにより、空へと中(あた)る。
ゆえに、言葉により覆われる何かがあるだろう。
言葉はその虚構性により、何物かを隠す。
だからこそ、その隠しについての語りが語られるであろう。
空の思想において、三つの原理が示されるだろう。
曰く、維持・破壊・創造。
三つの原理の絡み合いによって、世界は続く。
あるときには、世界は終わることによって始まる。
世界の始まりと終わり。
世界の終わりと始まり。
世界は続いていく。
ここに時間軸の問題が問われる。
過去→現在→未来。
過去←現在←未来。
その一方的な流れが拒絶される。
刹那。
原因と結果の論理に亀裂が入る。
因果の道理に、解釈が導入される。
それは、ある一種の世界観の成立。
一系列の時間観の破綻。
刹那の瞬間。
すべてが、心も物も、生起し消滅する。
原因と結果は同一ではなく、それゆえに因果は破綻する。
同一律を保つものは時間の停止であり、刹那によって崩れる。
完全に自立した存在のありえなさ。
そのありえなさにより、他のものが要請される。
時間を考えるためには、他のものが必要となるのだから。
あるものが作用するとき、他のものを対象として作用するのだから。
無限遡及と相互依存性。
そこに固定端を打ち込むことはできない。
今による永遠の顕在。
今に至る歴史の潜在。
永遠の今、すなわち、悟り。
そして、その続きを語ろう。
永遠の今が、永遠の今から離れる。
今から今への移動。
前後の今の意味が、変わるだろう。
世界は続いていく。
それは、仮説である。
そして、その儚い仮説を受け入れるのならば。
そこにおいて、悟りを悟らず。
悟りを悟らずという、悟り。
そうして、それは繰り返しによって、永遠の今を暗示する。
時は、動き出す。
歴史が紡がれる。
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