「国家の輪郭」としての靖国神社 — 首相の靖国参拝に求められる「論理」について

3.慰霊や追悼には誰も反対していない

 ただ私は、「自然な感情」論や「純然たる国内問題」論では、首相の靖国参拝推進の根拠としては弱いように感じています。その理屈だけでは、「なぜ武道館の全国戦没者追悼式ではダメで、わざわざ諸外国に批判される靖国神社に参拝するのか」という指摘や、「一般の戦争犠牲者も合わせて慰霊できる、無宗教の国立追悼施設を新たに建設すべきだ」といった主張に反論するのが難しいと思うからです。
 今回の騒動でも、たとえば読売新聞はA級戦犯の合祀を問題視し、「今の靖国神社には、天皇陛下も外国の要人も参拝しづらい。無宗教の国立追悼施設の建立案を軸に誰もがわだかまりなく参拝できる方策を検討すべきである」(記事リンク)と主張しています。
 朝日新聞の主張をもう一度見直すと、「あの戦争に巻き込まれ、理不尽な死を余儀なくされた人たちを悼む気持ちに異論はない」としながらも、首相の靖国参拝は政教分離の原則に反していると指摘しています。また、A級戦犯が神として祀られていることを考えると「あの歴史を正当化する政治性を帯びた神社であることは明らか」だから、「首相がどんな理由を挙げようとも、この参拝を正当化することはできない」と言います。そして、「それならば、軍人だけでなく、空襲や原爆や地上戦に巻き込まれて亡くなった民間人を含むすべての死者をひとしく悼むための施設を、新たにつくってはどうか。どんな宗教を持つ人も、外国からの賓客も、わだかまりなく参拝できる追悼施設だ。」という話になっていくわけです(記事リンク)。
 日経新聞も、「赤紙で戦地に送られた多くの戦没者を悼むのは日本人として当然の感情だ。問題は靖国がそれにふさわしい場所かどうかだ」(記事リンク)という書き方をしていて、つまるところ、首相が戦没者の死を悼むのは良いのだが、だったら靖国神社ではなく別の場所でやってくれと言っています。
 毎日新聞にしても、「私たちは、国の指導者が戦没者を追悼するのは本来は自然な行為であり、誰もがわだかまりなく戦没者を追悼できるような解決策を見いだすべきだと主張してきた。しかし靖国は首相が戦没者を追悼する場としてふさわしくない。先の大戦の指導者たちがまつられているからだ」(記事リンク)という主張になっています。
 つまり、政治家が先頭に立って戦没者の死を悼むことには、べつに誰も反対していないわけです。「ただ、戦争の犠牲者に対する哀悼の意を捧げたいのであれば、わざわざ揉め事が起きる靖国神社でやるのはやめるべき」というのが靖国参拝反対派の論理なのです。

4.靖国参拝の積極的な意義

 靖国参拝推進派の「自然な感情」論や「純然たる国内問題」論は、反対派の批判に対して、「これは人間としての自然な感情に基づいてやっている平和主義的な祈りであって、摩擦を生むのは本意ではない」という理屈で反論していることになります。小泉首相の参拝が問題化したときも同じでした。
 首相の談話については外交的配慮が求められるので、平和主義的な言葉が選択されるのも分かるのですが(それにしても、小泉首相の談話は最悪でしたが。)、一般の議論においてもそれでいいのかは疑問です。「摩擦を生みたくないのであれば、やり方を変えればいいじゃないですか」と言われてしまうと、反論しづらくないでしょうか。
 靖国参拝をめぐって生まれる「摩擦」としては、以下のようなものが代表的です。

  1. 首相が靖国神社に公式参拝をすることは、憲法に定める政教分離の原則に反している。
  2. 靖国神社にはA級戦犯が合祀されているが、彼らは戦争の惨禍をもたらした加害者なのであり、日本国民として彼らを神として祀ることは容認できない。
  3. A級戦犯は日本軍国主義・帝国主義の指導者であったことから、彼らを祀る行為はアジア諸国民の感情をも傷つける。
  4. 靖国神社には、主として軍人を祀る施設であり、戦争で犠牲になった一般市民を慰霊することができないから、戦没者慰霊の中心施設としては不適切である。

 これらの摩擦を理由に靖国参拝を批判する勢力に対して、「いや、我々は単に自然な気持ちから戦没者を追悼したいだけであって、摩擦を起こすのは本意ではないから気にしないでくれ」と言うだけでは、説得になりません。また、今の20代・30代以下の世代の場合、ほとんどの人は靖国参拝を「自然な気持ち」と言われてもピンと来ないでしょう。もっと積極的な形で「靖国参拝の意義」を語り、論理を組み立てていく必要があると思うのです。
 私はむしろ、「慰霊」や「追悼」という「自然な感情」に加えて、

  1. 国家的行事において神道の儀式を担ぐこともある程度まで必要なことなのであり、
  2. A級戦犯は我々日本国民にとっては犯罪者ではないのであり、
  3. アジア諸国民に傷つくところがあったとしても日本には日本の正義があったと言わざるを得ないのであり、
  4. 戦死した軍人は一般の戦争犠牲者とは異なる特別な存在なのだ

 ということを、首相の靖国参拝を通じて表現することに意義があるのだと理解すべきだと思います。もちろん政治家は言葉を慎重に選ぶべきですが、これらのことをある程度明確にしておかないと、議論がかみ合わないのではないでしょうか。
 さらに言えば、「こうした価値観は必ず誰かの癇に障るはずだが、それでもなお擁護すべき理由が我々にはある」と主張しなければならないはずです。靖国神社は、後述するように日本のナショナリズムの象徴と理解すべきものなので、「哀悼の意」のような万人が理解できる普遍的価値観では説明し切れないのです。
 政治家やメディアがこのことを明確に主張できる環境にないのであれば、まず議論を積み重ねてその環境を構築するのが先決であって、首相が焦って靖国神社に参拝してもあまり意味はないでしょう。

→ 次ページ:「5.靖国神社は「英雄」を讃えるための施設である」を読む

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西部邁

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コメント

    • 萩原 和紀
    • 2014年 1月 03日

    靖国神社の意味合い、2面性、日本人としての精神の多面的な中の靖国神社という公共的な意思の形に表される2面性「同胞の死を悼む」「政治的な利用」を思索しそれを積み重ねて、落としどころを見つけて参拝するならすべきという事だと見ています。
     それと、靖国神社への参拝をこのような形で評してくれることを感謝しています、今まで他のメディアの評論や意見を見ても形はあれども中身がある様な無い様なと言うようなものしかなかった。と思うのは私の勉強不足なのかもしれませんけどね。

    • 川端
    • 2014年 1月 03日

    ありがとうございます。
    私は、上記の本文中では「不十分だ」みたいに書いてますが、一般のメディアの論評自体はすごく参考にしてきました。
    保守派の、一昔前に「新しい歴史教科書をつくる会」とかをやられていた先生方は、ほんとによく調べられて整理されていたと思います。
    ただ、結局のところその内容が、
    ① 年代も高く、もともと靖国神社に参拝するのが「自然」だと思っている人たち
    ② いわゆるネトウヨ的な、外国の悪口を言うことに過剰に熱心な人たち
    のいずれかにしか届かないのではないかという危惧があり、「若い世代の、ふつうの人」が靖国神社をどう受け止めるべきかというのを、考えていきたいと思いました。

    • 川端
    • 2014年 1月 03日

    本文に補足です。

    急に特攻隊に触れたくなったのは(笑)、この坂口安吾の『特攻隊に捧ぐ』という文章が頭にあったからです。
    http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/45201_22667.html

    反戦平和主義者であるはずの安吾が、特攻隊を絶賛しています。
    しかも、単純に絶賛しているのではなくて、ものごとの二面性を丁寧に捉えようとしているところが、すごい文章だな〜と思うのです。

    • 松田 隆
    • 2014年 1月 04日

     川端祐一郎氏のご意見は、一見、もっともだと思われる方が多いかと思いますが、もともと、靖国神社の歴史は主に幕末から昭和そして平成の現代に至るまでの、我が国の近代化に尽くしてきた人々をお祭りする神社であり、特にあの大東亜戦争で戦われた軍人達が死んだ後で、靖国神社で再会しようと誓い合った特別の神社であります。

     その靖国神社には政治問題化するまでは昭和天皇もご参拝され、今も生きている中曽根元総理大臣が参拝するまではここまで政治問題とはなっておりませんでした。

     靖国神社自体が当初から政治問題化する神社ではなく、マスコミが政治問題化したのは事実であり、川端祐一郎氏のご意見はそのことをもって論理破綻されているかと思いますが、如何でしょうか。反論を私のメールアドレスまでお待ちしております。

    • 川端
    • 2014年 1月 05日

    マスコミが政治問題化した歴史は知ってますよ。正確にいうと、参拝そのものが問題視されるようになったのは、中曽根首相の公式参拝の10年前に三木首相が「私的参拝」論を唱えたあたりからですが。60年代の終わりから70年代半ばにかけては、靖国神社法案(いわゆる国家護持法案)でもめていましたので、もっと前から靖国問題は政治問題だったとも言えます。

    松田さんが「政治問題化」とおっしゃってるのはたぶん「外交問題化」という意味でしょう。
    もしそうだとして、外交問題化のきっかけをマスコミが与えた面は大いにあると思いますが、そのことと、もともと問題化し得る要素があったかどうかは別問題ですよね。
    保守派の多くは、そもそも問題化し得る要素がなかったと思ってるみたいですが、私は少なくとも潜在的にはあるはずだと思ったので、その理由を本文で説明してます。
    また、もう既に問題化してるわけですから、「このケンカを最初に煽ったのはマスコミだ」なんて指摘してもあまり意味はなくて、単純に、参拝を推進する側には「正義」があるのだということを説明し続ければいいんじゃないかと思います。

    • 武津
    • 2014年 1月 08日

    よく考察された論文だと思います。
    靖国神社の存在を、いままでにない視点から解剖し展開したことはすごく新鮮でした。
    国家という存在の二面性を論じることは、いまとても必要だと思いますね。

    十分読み込んでから、改めてコメントします。こうした文章はメディアやネットに拡散することを願います。

    • 正直屋
    • 2014年 1月 08日

     中野剛志さんのメールマガジンに導かれて、川端祐一朗さんの論考に触れることができました。はじめてコメントを書かせていただきます。
     私もかねてより、靖国神社の慰霊施設としての性格ばかりを伝えようとすることに対して、またおそらくそれと軌を一にしてのことでしょうが、場所柄をわきまえず「不戦の誓い」を立てようとすることに対して、つよい違和感を覚えてきました。それゆえ、川端さんの論考におおむね賛同することができました。とはいえ、賛同しかねるところもあると感じました。
     おっしゃるとおり、靖国神社はもとより諸国の戦没者追悼施設はいずれも、対外戦争の顕彰施設としての性格を帯びています。しかしだからといって、戦没者追悼のあり方が外交問題化するのは当然だといえるでしょうか。やや飛躍しすぎるのではないでしょうか。それどころかむしろ、川端さんの論考を読み進めるほどに、外国の戦没者追悼のあり方に干渉してはならない理由がそこに書かれているように思えました。
     いかなる国家も固有の権利として、国防力を保持することができます。国防力を過大に保持していれば非難されてしかるべきですが、国防力を保持していること自体は非難されるいわれはありません。そして諸国の戦没者追悼施設は、たんなる慰霊施設ではなく顕彰施設でもあればこそ、国防力の中核あるいは基底に位置するものです。
     櫻田淳氏が靖国神社を「兵士の士気」を支える「安全保障装置」と呼んだのも、それを言わんとしてのことでしょう。川端さんはさらに本質に迫った論証をされています。私なりに理解したところでは、戦没者追悼施設は、国家と国民が生命の保護と死の強要とを交換する、あるいは交換したことを確認する場であるがゆえに、われわれが国民国家を形成しようとする切実な動機と結びついています。
     とすればなおのこと、生命の保護と死の強要との交換関係の外に立つ者が、戦没者追悼のあり方に干渉するのは、その国家の存立の基盤を破壊することにつながりかねません。そして、国家の存立の基盤を破壊することを許しては、国家と国家の間にルールは成り立ちません。戦没者追悼のあり方を外交問題化しないことを、国際社会のルールとみなすべきだと考えるゆえんです。
     日本が諸外国に対して、自前の歴史認識を語り始めるのは、たしかに厳しい覚悟を要するでしょう。それにくらべれば、国際社会のルールに立ち還れと、あるいは国民国家を成り立たせているところの万国共通の仕組みを思い起こせと説くほうが、ずっとやさしいのではないでしょうか。
     長文にわたり失礼しました。

      • 川端
      • 2014年 1月 28日

      コメント有り難うございます。
      おっしゃることは非常によく分かります。私がいいたかったのは、より正確には、「外交問題につながり得るような、心情的・道義的・思想的なわだかまりをかならず内包する」ということです。
      それが明示的な「外交問題」に発展するかどうかは場合によると思いますが、そうはいっても、暗黙のわだかまりはあってもおかしくないだろうということです。殺し合いをしたわけですし、一応お互いがお互いの「正義」を掲げて戦ったわけですからね。

      本文ではごっちゃになっていたので、分けて考えます。

      1.殺し合った「旧敵どうし」のわだかまり
       殺し合いをしたわけですから、当然わだかまりはあります。
       「どっちもどっち」な喧嘩であったとしても、やはり自分のじいちゃんを殺した相手のことは憎いのが普通でしょう。

      2.「正義」をめぐるわだかまり
       本文の中で「そして、戦没者の慰霊や顕彰というような行為は、もともと「正義」をめぐる対立を生みやすい話題だと考えるべきなのです。」と書いたのは、お互いが「正義」を掲げて戦ったということが前提になっています。
       それで負けた結果何が起きたかというと、日本の正義が外交上「否定」されてしまったわけです。

       で、これらのわだかまりが、「対等な対立」であればお互いにもう面倒だからあまり干渉しあわないようにしようというのも成り立つと思いますが、大東亜戦争はそうではないのです。

      正直屋さんが、

      > 国際社会のルールに立ち還れと、あるいは国民国家を成り立たせているところの万国共通の仕組みを思い起こせと説くほうが、ずっとやさしい

      と書かれていますが、日本側は東京裁判で「平和に対する罪」で裁かれたわけで、これって要するに、国際社会のあるべきルールを破った輩ということになっているわけですよね。
      だから、旧連合国(及び、「被害者」であるというスタンスに決めてしまった旧植民地である韓国)の論理を簡単に言ってしまうと、「そりゃ、それぞれの国家には対等な権利があるということで良いと思うよ。でも日本は、そういう国際秩序を破ったのであって、だから俺たちは怒ってるんだ。日本軍国主義は人類共通の敵なんだから、そんなものの象徴である靖国神社に首相がお参りするなんてもってのほかだわ」っていう話です。「靖国神社は、お前らのルール違反の象徴なんだから、そんなところで慰霊することを認めることはできない」という理屈になるわけですね。

      もちろん、この東京裁判史観はほとんど言いがかりだと思いますが、その言いがかりの論理がいまだにけっこう根強く生きているのに、それに正面から反論せずに「あくまで戦没者の追悼です」「戦没者の追悼は各国の内政問題です」とか言っててもそれは無理があると思います。
      日本の戦争は、ヨーロッパ諸国同士の植民地競争のような、「どっちもどっち」の戦争とは認めてもらえていないのです。極論すれば、テロ国家とかならず者国家みたいに扱われているわけですよ(笑)
      原爆を落としたアメリカのほうが、よっぽどならず者だと思いますけどね。

      結論としては正直屋さんのおっしゃる論理が正しいと思うのですが、そういう正しい論理の枠内で捉えてもらえる状況にないのが現状なんじゃないでしょうか。そういう状況で靖国神社に参拝するというのは、最初から「論戦」を仕掛けているのに等しいと思うのですよ。靖国参拝は、「日本はテロ国家ではなかった。ふつうに自国の生存のために戦っただけで、お互い様だ。文句あるか?」っていう主張を、明確に伴う行為だと思うのです。

    • 柴犬
    • 2014年 1月 09日

    素晴らしい考察だと思います。

    私が思うのは、靖国問題とは、靖国参拝にこだわりながら(否定でも肯定でも)
    自分たちが置かれている状況を直視し難く、逃げている日本人の精神性を象徴した問題ではないか? と、考えてみました。

      • 川端
      • 2014年 1月 28日

      コメントありがとうございます。

    • 和田
    • 2014年 3月 25日

    基本的には、靖国神社は国内問題である。そして、天皇の名で死んでくれという施設である。憲法には政教分離原則が存在する。 それにもかかわらず、靖国神社に公的性格を与えようとするのは、立憲主義の否定であり、国家神道の強制を狙うものである。 私は、天皇の名では死ねない。日本を反近代の祭祀国家に逆戻りさせるのはおかしい。   祭祀とは特定の共同主観を込めた宗教的象徴行為である。 祭祀を公的な存在にするということは、直ちに共同主観の強制に繋がる。  アイヌの熊送り、殷・アズテクの他部族生贄、マヤ・インカの自己犠牲・自己生贄、自然神への奉納はいずれも多神教としての自然神に対する賄賂のバリェーションである。  歴史・伝統・文化から自分たちが正統と考える国家神道的イデオロギーを恣意的に抽出し、合法的統治の下敷きにある正当性・妥当性・有効性の観点から物事を判断せず、血統的・系譜的レジテマシー正統にこだわり、それらを自ら奉じない者を異教・異端と言論弾圧する。 靖国を公的存在にするということは国家がそのような方向を目指すということだ。 他国に干渉されるから靖国参拝に賛同するということは、自我を処刑し、天皇に自己犠牲をささげようという究極の自虐である。 

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