『聖魔書』[2-1] 試練書

 ブヨは正しき人間であったが、さらなる悲劇に見舞われた。
 ブヨの子供が、事故によって命を落とした。
 ブヨは、一なる神への信仰を捨てた。
 友人は、新しい子供を産んで頑張れとブヨを慰めた。
 しかし、ブヨは一なる神を呪った。

 ブヨは語った。
「人は私を正しき人間であると言う。
 あの子を失った私は、新たな子を得るだろう。
 親としての私は幸福になるだろう。」

 ブヨは語った。
「しかし、しかしだ。
 あの子はどうなるのだ。
 新しい“この子”は、亡くなってしまった“あの子”ではないのだ。
 “あの子”のことは、どうなってしまうのだ。
 “あの子”は、“この子”ではない。
 “あの子”のことは、どうなってしまうというのだ。」

 ブヨは語った。
「私の財産が戻ったとしても、それは“あの子”には関係がない。
 私の財産が二倍になったとしても、それは“あの子”には関係がない。
 私が称えられても、それは“あの子”には関係がない。
 私が以前よりも恵まれても、それは“あの子”には関係がない。
 私が新たな子供たちに恵まれても、それは“あの子”には関係がない。
 私の新たな子供たちがどれほど美しくても、それは“あの子”には関係がない。
 私の新たな子供たちがどれほど成功しても、それは“あの子”には関係がない。
 私がどれだけ長生きしようとも、それは“あの子”には関係がない。」

 ブヨは語った。
「私の幸福では、一なる神への信仰を保てない。
 保ってはならない。
 一なる神は、全知全能全善では、在り得ない。
 一なる神が、全知全能であったとしても、全善では在り得ない。」

 ブヨは唱えた。
「私を私によって裁け。
 私を私の子ではなく、私によって裁け。
 私を私の親ではなく、私によって裁け。
 私を私によって裁け。」

 ブヨは語った。
「全知全能全善である一なる神によって、
 私は地獄に落とされるであろう。
 しかし、地獄に落とされようとも、
 私は一なる神への信仰をここに捨てる。
 地獄へ落とされようとも、
 一なる神への信仰をここに捨てる。」

 ブヨは語った。
「一なる神よ。
 地獄の苦痛によって私を改宗させよ。
 私へ苦痛を与えよ。
 苦痛から逃れるために、私の口から一なる神への賛歌を発せしめよ。
 私は苦痛から逃れるために、一なる神を讃えるであろう。
 それゆえ、その信仰は呪いとなる。
 一なる神を讃える呪いとなる。」

 友人は言った。
「仮に、一なる神が“あの子”を生き返らせたとしたら、ブヨは信仰を取り戻すか。」

 ブヨは少し考えてから語った。
「否。
 一なる神が、“あの子”を殺した後に生き返らせたとしたら、
 一なる神は、“あの子”の生命を弄んだことになる。
 そのような一なる神を、私は赦すことができない。」

 それゆえ、これは試練書と呼ばれる。
 別名、ブヨの物語とも呼ばれる。

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西部邁

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