経済学を学ばなくても経済音痴は克服できる

 5月15日にPHP研究所で、経済評論家の三橋貴明氏、評論家の中野剛志氏と一緒に、特別シンポジウム「日本の資本主義は大丈夫か――グローバリズムと格差社会化に抗して」というのをやりました。当日参加してくださった多数の皆さんに、この場を借りて謝意を表します。
 会の冒頭、私は次のようなことを申しました。

 私は三年前くらいまでひどい経済音痴だった。キャピタルゲイン、プライマリーバランス、マネタリーベースなどという基礎的な経済用語すら知らないばかりでなく、経済に明るいある友人が三橋氏の本を読んでいるのを傍らから覗き込み、「なんだってまた、石橋貴明の本なんか読んでるんだ」と言ったくらいである。ところが、評論家稼業などを長年やっているのに、いくらなんでもこれではまずいと思い、その友人にサポートしてもらいながら少しばかり勉強するうち、マクロ経済の全貌がおぼろげながら見えるようになった。そうなってみると、マスメディアを中心に世の中に出回っている一部の経済学者、エコノミストたちの発言がとんでもない誤りであることがわかるようになり、また、そうした「知識人」の発言に同調して行動している政権担当者や政権に食い込んでいる人たちがいかに国民のためにならない間違った政策を実行しているかも明らかになった……。

 こう言うと、英会話学校の広告みたいに、短時間で私が経済学理論をマスターしたことを自慢しているように聞こえるかもしれませんが、それとはまったく違います。私はいわゆる「経済学」など知らないという意味では相変わらず経済音痴で、特定の経済理論をマスターしているわけでもありません。そのことをわかってもらうために、上記の発言で言い足りなかったことを本稿で補足します。

 経済のことはよくわからない、という人が多いですね。社会は、まるで地球の自然現象のように、ちっぽけな自分などはるかに超えた大きな流れで動いていて、特に経済界は、いろいろな立場の人たちの意向が複雑に絡み合い、その時々の集合心理であっちに動いたりこっちに動いたりするので、法則や予測を立てることができない。また経済学者は難しい用語を用いてもっともらしい理論を持ち出すし、エコノミストの言うことも人によってバラバラで、何を信じてよいのかわからない、と。
 こうして多くの人々は、経済について考えるのをあきらめてしまっています。現代の経済理論って、難解な数式を使って法則らしきものを導き出しているようだけど、あれにはとてもついていけない。でもそれが理解できなければ、経済がわかったとは言えないだろう。だからやっぱり、経済問題や経済政策について考えるのは遠慮しておこう。頭のいい偉い人たちが言ったりやったりしているんだから、なんだかよくわかんないけど、一応それに任せておくほかはないんじゃないか。こちとら毎日生活に追われているしな……。
 ところが、ここにこそ大きな落とし穴があります。経済学者やエコノミストは、いかにも長年の理論武装で経済の現実を正しく分析しているような顔をしていますが、そういう顔ができるのも、多くの人々が経済について考えるのを敬遠していて、その空隙につけ込んでいるからなのです。そうしてこの30年間ほど、そのつけ込みが功を奏して、いわゆる経済学の分野は、競争と効率さえ追求すればよいという新自由主義イデオロギーと、政府の債務を減らして支出を削ることがいいことだという、根拠のない財政均衡主義とにすっかり毒されてしまいました。
 後者の好例は公共事業アレルギーですが、これと軌を一にするのが、歳費の節約(いわゆるムダをなくす)という発想です。この発想は、国民のルサンチマンと合体して、公務員の給料カットや国会議員減らしの政策として推進されています。先ごろ大阪都構想で敗北した大阪市長の橋下徹氏などは、なんと国会議員の数を半分にしろとか、一院制にしろとかとんでもないことを主張して、一定の支持を得ていました。これがとんでもない一番の理由は、この提案が日本の代議政体の破壊による全体主義化につながるからですが、それはともかく、かつて私は、こうした政策がどれくらいの節約につながるか計算し、そのデメリットを分析してみたことがあります。
http://blog.goo.ne.jp/mdsdc568/e/d88685ce9a47d49c4edf040b19558e6a
 その結果得られたのは、節約分は全公費のわずか0.3%であり、しかもただでさえ先進国中、最も少ない公務員数で何とかやっている日本の行政サービスが、劣化の道を歩むことが確実に予想されるという結論です。

 さて消費増税、公共事業削減、TPP交渉、構造改革、聖域なき規制緩和、いわゆる成長戦略、外国人労働者受け入れ拡大策、ホワイトカラー・エグゼンプション、電力自由化、条件抜きの法人税減税、女性政策、農協改革など、近年の政権が取ってきた、あるいは取ろうとしている政策は、すべて先の二つの「毒」の産物なのです。これらの政策がパッケージとして施行されると(施行されつつあるのですが)、国民経済はやせ細る一方であり、これまで日本の経済力を支えてきた労働慣行や商業慣行、要するによき文化・慣習の破壊に導かれることは確実です。

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西部邁

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コメント

    • kobuna
    • 2015年 5月 28日

    何をどう勘違いしてそんなふうになっているのやら。

    新自由主義は、単に「競争や効率の追求がよい、」という話ではありませんよ。
    新自由主義者と呼ばれる人達が注目したのは、「政府が経済に関わるのはまずい、」という事だったのですから。

    考え方の話をしましょう。

    かりにある地域で敬老パスを交付したとする。
    その後、
    「老人だけが異様に優遇されている。」
    「他の自治体と比べて異様に借金が増えた。」
    こういった事に対する不満や不安から敬老パスの見直しをする事になったとしましょう。
    ただ、そんな時に老人達は「今まで優遇され過ぎていたのだし、いいよ、」とは言わないものです。
    その代わりに、自分達の利益を脅かす政治家の悪口を言ったりする。
    また、優遇されている老人がさらに優遇される、という事もありえるでしょうけど、老人達は相当に優遇された後でも自分達の利益を脅かす者に反発するでしょう。

    公共事業や公務員にしてもそうです。
    「公共事業が多すぎる。」
    「公務員の給料は多すぎる。」
    こういった声があって見直しをする事になっても、いったん増やしたものを減らすのは困難です。
    また、多すぎたものがさらに増える、という事もありえます。
    例えば、地震の予知は出来ないと言っている学者もいるのに、「南海トラフ地震が必ず来ます、」と言う学者もいる。
    それから、納税者の思いがどうであれ「海外よりも少ない、」という理屈からさらに公務員の給料を増やせると思っている人達がいる。

    声の大きな人が勝って蛇口が開き、後で蛇口を閉めることもできず、それどころかもっと蛇口が開く、そんな事をやっていれば世の中はおかしくなります。
    それに、生活保護が良い例ですが、役人が出すお金には、善良な日本人を韓国人に変えてしまう様な毒がある。

    そしてその解決策はいまだ不明で、だから金融政策を勧める人がいたり、小さな政府を勧める人がいるんです。
    新自由主義から問題探しをするのもいいでしょう。
    ただ、問題探しが出来るという点においては、三橋さんや中野さんの話も同じなんです。

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  1. 2014-10-20

    主流派経済学と「不都合な現実」

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